フィンセント・ファン・ゴッホ。
あなたも一度は耳にしたことがある名だと思います。
ゴッホの人生は映画化されるほど狂気に満ちたものでした。
しかしあなたはゴッホの魅力を語れますか?
そう、ゴッホは知名度に比べて「ゴッホがどんな芸術家なのか」を理解している人は少ないのです。
今回はそんなゴッホの本当の魅力について初心者にも分かりやすく解説します。
さらに後半では、ゴッホが現代の僕らに与えてくれるアートの思考法についてお伝えします。(ココでしか学べない超オススメの内容です)
さあ、一緒にゴッホの物語を紐解いていきましょう。
ゴッホはポスト印象派の画家
出身:オランダ
出没年:1853年〜1890年
様式:ポスト印象派
活躍:絵画
特徴:宗教と自然の葛藤を炎のようなタッチで描いた
代表作:《ひまわり》《星月夜》
フィンセント・ファン・ゴッホはオランダの画家で、美術史ではポスト印象派にカテゴライズされます。
ポスト印象主義についてはこちらの記事を読んでみてください。
印象派は有名で、あなたも名前くらいは聞いたこともあるかもしれません。 しかし新印象派やポスト印象派と聞くとどうでしょう? 「え?印象派と何か違うの?」 …と思うかもしれませんね。 新印象派とポスト印象派は[…]
ゴッホは宗教と自然の間で苦しんだ画家でした。
そのためゴッホの絵画には宗教的な意味と自然に対する憧れが存在するのです。
そんなゴッホの代表作は《ひまわり》《アルルの寝室》《夜のカフェテラス》《星月夜》などが有名です。
次からはゴッホの生涯を、ゴッホが描いた作品を追いながら解説していきます。
ゴッホの作品とその生涯
ここからはゴッホの作品と一緒にゴッホの生涯を追っていきます。
ゴッホの生涯は一言で表すと「宗教と自然の葛藤」であったと言えます。
それでは映画化もされたゴッホの物語を一緒に見ていきましょう。
宗教から芸術へ
時は1853年まで遡ります。
ゴッホはオランダの牧師の息子として誕生しました。
ゴッホは中学校を中退後、16歳で叔父が働いていた画商に勤めることになりました。
しかしすぐに画商を解雇されてしまいます。
画商を解雇されたゴッホは牧師の父を持つことから、伝道師を目指しました。
けれどまた問題が起こりました。
ゴッホの献身的な態度は少々度が過ぎたのです。
ゴッホ自身の食べ物や衣類などを、貧しい人々に与え、自分は裸同然の格好で藁の上で寝るという始末。
このいきすぎた行動から、伝道師協会はゴッホを正式に採用しませんでした。
ゴッホやりすぎだって。
そして次なる職業として選んだのが画家だったのです。
画家ゴッホは、望みを全て絶たれた後に生まれたのですね。
ゴッホ、何やってもうまくいきません。
画家として活動する中でも、宗教への気持ちを捨てきれていなかったゴッホは、その描く絵の中に小さな教会を描き続けました。
そしてゴッホの描く絵には、どれも宗教的な意味を持っているのです。
生涯を通してゴッホにつきまとった「掘る人」
ゴッホの描く絵には度々「掘る人」が描かれています。
この一見何の変哲もないモチーフも、ゴッホにとっては宗教的な意味が込められていました。
一体「掘る人」にはどんな意味が込められているのでしょうか。
あなたはアダムとイヴの物語を知っていますか?
アダムとイヴは旧約聖書に描かれる「最初の人間」で、禁断の果実を食べてはいけないという神との約束を破り、楽園を追放されてしまうという『創世記』の物語です。
そして楽園を追放されたアダムに課せられたのが「土を耕す」という労働だったのです。
ゴッホは「掘る人」と「楽園を追放され土を耕すアダム」を重ねていたのです。
そのように見ると、まるで「掘る人」が伝道師としての望みを絶たれ、自分の思い浮かべた楽園から追放されたゴッホ自身のように見えてきます。
ゴッホとアダムの物語に繋がりがあったなんて少し意外じゃないですか?
そう考えると「掘る人」ってなんだか不吉なモチーフですよね。
単なるモチーフも宗教的な目線で見ることで、絵画が真実を語り出すのです。
ゴッホに影響を与えた印象派と浮世絵
ゴッホの絵画は有名ですが、実はゴッホの作風に影響を与えた2つの美術があります。
それが、
- 印象派
- 浮世絵
でした。
ゴッホの作品を明るくした印象派
パリに出たゴッホはそこで印象派と出会います。
印象派との出会いなくして、現代の僕らが知るゴッホは生まれなかったでしょう。
印象派の特徴である、原色をそのままキャンバスにのせる技法を取り入れることで、ゴッホの作風は一気に明るさを増しました。
印象派については、こちらの記事で詳しく解説しています。
「印象派って結局なんなの?」 もし友達にそう聞かれたら、あなたはどう答えますか? 印象派は世界中にファンがいる西洋の芸術運動であり、画家たちのグループの総称です。 日本でも大人気で、美術館で印象派展が開催される[…]
しかしゴッホは印象派をそのまま採用するというよりは、自分の芸術の新たな一歩にすぎなかったのです。
構図から思想までゴッホに影響を与えた浮世絵
ゴッホは次に日本の浮世絵と出会います。
この浮世絵との出会いも、ゴッホに大きな影響を与えることになります。
ゴッホは浮世絵の模写をしていますが、どれも忠実に模写しているわけではありません。
様々なところからモチーフを借りてきて、再構成した絵を描いています。
上の絵はゴッホが歌川広重の《亀戸梅屋舗》を模写したものです。
歌川広重が描いた《亀戸梅屋舗》と比べてみましょう。
ゴッホが描いた絵は広重の描いたものと比べると、色彩がより強く描かれているのがわかりますね。
さらにゴッホは、絵の両端に他の浮世絵などからとってきた漢字も加えています。
「吉原」「大黒屋」「錦木」などの文字が読み取れますが、ゴッホは漢字の意味までは理解していなかったと考えられています。
こちらの絵も浮世絵の模写ですが、下の蛙や左の鶴などは、他の浮世絵から借用したものです。
ただの模写ではなく、ゴッホは自分なりの「日本のイメージ」をキャンバスに表現していたのです。
こうしてゴッホは新たな芸術の表現を模索していきました。
日本への憧れとアルル
ゴッホは「日本」や「日本人」に対して強い憧れを持っていました。
とは言っても、その頃まだ西洋から見た当時の日本は未開の地だったので、実際の日本というよりもゴッホの想像上にあるイメージとしての「日本」ですが。
それはゴッホの想像上の「日本人」の生き方こそ、ゴッホの理想的な生き方だったからです。
ゴッホが弟のテオに向けて描いた手紙にも「日本人」について触れられています。
「まるで自身が花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか」
ーゴッホが弟テオに宛てた手紙より
めちゃくちゃ日本のこと大好きですやん。
ゴッホの《タンギー爺さん》
ゴッホの日本への憧れは、浮世絵に囲まれた老人を描いた《タンギー爺さん》という作品からも読み取れます。
この絵画はジュリアン・タンギーという絵具商を描いたものです。
タンギーは売れない画家たちを支援していたことでも知られていて、その中にはセザンヌやゴーギャンもいました。
ゴッホはそんな私利私欲に走らないタンギーの生き方に共感し、憧れたのです。
その想いはゴッホの弟テオに向けて書かれた手紙の中にも記されています。
「ここでは僕は日本人のように自然に投入して生活をしている。
もし僕が高齢になるまで生きられたら、タンギー爺さんみたいになるだろう」ーゴッホが弟テオに宛てた手紙より
タンギー爺さんのことも大好きですやん。
ゴッホにとっての「フランスの日本」アルル
そしてゴッホはパリを後にし、フランスにおける「日本」と憧れた南仏アルルへとやってきました。
豊かな陽光と、あふれるような色彩の南仏アルルこそ、フランスの「日本」だとゴッホは感じていたのです。
アルルに着くと、そこはまさにゴッホが想像し求めていた光景が広がっていました。
このアルル時代こそ、ゴッホが生涯で一番幸せで、創造的だった時代です。
アルルでの作品からはあの「掘る人」は見事に消え去りました。
まるでゴッホが楽園を取り戻したかのようですね。
ゴッホの夢は芸術家共同体を作ることだった
アルルに来たゴッホには1つの大きな夢がありました。
それは「日本人」のように兄弟愛に満ちた芸術家の共同体を作るというものでした。
ゴッホは実際に、芸術家が共同生活をするための家を借ります。
この家は通称「黄色い家」と呼ばれています。
ゴッホはこの共同体を、修道院生活をモデルに構想していました。
ゴッホにとって「黄色い家」は、「擬似宗教的共同体」だったのです。
今で言うシェアハウスといったところでしょうか。
時代を先取りしてますね。
アルルや芸術家共同体への憧れの本質には、ゴッホの中で理想化された「日本像」「日本人像」があったのです。
そしてアルルのその黄色い家に画家仲間を誘いました。
そしてその家に飾る絵として描いたのが、あの有名な《ひまわり》なのです。
ゴッホの《ひまわり》
あなたもゴッホと言えばこの《ひまわり》を思い浮かべるのではないでしょうか?
言わずと知れたゴッホの代表作の1つです。
ところであなたは、ゴッホがなぜ黄色い家に飾る絵のモチーフに「ひまわり」を選んだかわかりますか?
実はゴッホが《ひまわり》に隠した「あるメッセージ」があるのです。
《ひまわり》の持つ本当の意味とは?
ゴッホの謎を紐解きたいあなたには、こちらの記事をオススメします。
「ゴッホと言えば《ひまわり》だよね?」 …なんて言えるくらい、今回のテーマの《ひまわり》は有名です。 ゴッホは誰でも聞いたことがある超有名な芸術家ですよね。 そのゴッホの代表作と言えば、あなたも《ひまわり》を思[…]
ゴッホが夢に見た、兄弟愛に満ちた芸術家の共同体としての黄色い家。
しかし、そのアルルの黄色い家に来たのは画家のポール・ゴーギャンただ1人でした…。
ゴッホの自画像に見る「あの事件」
そして事件は起こります。
ある日、精神病の発作を起こしたゴッホが、カミソリでゴーギャンを襲おうとしたのです。
ゴーギャンは無事でしたが、挙げ句の果てにゴッホはなんと自身の耳を切り落とし、その耳を馴染みの娼婦に届けたという事件が起きたのです。
これが有名な「耳切り事件」です。
この事件をきっかけにゴッホは入院し、ゴーギャンもアルルを後にしました。
こうしてゴッホの夢だった芸術家の共同体を作る夢はあっさりと崩壊してしまうのです。
耳に包帯を当てたゴッホの後ろにある浮世絵は、ゴッホがアルルで実現できなかった理想の世界を表しているかのようです。
元々ゴッホは精神を患っていて、とても不安定だったために起きてしまった事件でした。
はい、完全にヤバいやつです。
宗教と自然の間
そしてその後、ゴッホの中で宗教と自然との葛藤が本格的に始まります。
アルルでの「耳切り事件」以来、ゴッホは南仏のサン=レミにある精神病院に入院することになります。
精神病の発作により、野外で絵を描くことができなくなりました。
そのため、想像で描くことが多くなり、その絵画表現も荒々しく力強いタッチに変貌していったのです。
そしてこの頃からゴッホの絵にはあの「掘る人」が再び姿を表すようになります。
それはまるで、ゴッホがアルルという楽園を失ったことを示すようですね。
その後もこの「掘る人」という不吉なモチーフは次第に数を増していきました。
ゴッホの《星月夜》
そしてサン=レミの病室で描かれたのが、有名な《星月夜》です。
《ひまわり》は黄色い夢に見たゴッホの希望を描いた作品だとすると、この《星月夜》はゴッホの「葛藤・苦しみ」を描いた作品と言えるかもしれません。
《ひまわり》の黄色に対して、反対色であるブルーを基調として描かれていることからも、この作品が希望とは違うものを表現しているように感じてしまうのです。
《星月夜》には教会と大きな糸杉が描かれていますが、これはまさにゴッホの生涯の苦悩だった「宗教と自然の葛藤」を表しているものなのです。
《星月夜》についてもっと詳しく知りたい場合は、こちらの記事を参考にしてみてください。
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終わりの地、ゴッホ最後の作品神話
その後、ゴッホは南仏を離れ、パリ郊外にあるオーヴェール・シュル・オワーズに転移しました。
ゴッホはこの場所で人生の残り2ヶ月を過ごすことになります。
そして七月のある日、ゴッホは自分の腹に銃弾を打ち込み、37年という短い生涯の幕を下ろしました。
37年のうち、画家として活動したのはわずか10年でした。
ゴッホ最後の作品?
ゴッホの作品に《鴉(からす)の群れ飛ぶ麦畑》という作品があります。
この作品がゴッホの最後の作品と言われているのです。
しかし実際はこの絵がゴッホの最後の作品であるという根拠は何も見つかっていません。
じゃあなんで《鴉の群れ飛ぶ麦畑》がゴッホの最後の作品だって言われてるのでしょう?
このゴッホの「最後の作品神話」も、やはり描かれたモチーフが鍵を握っています。
聖書の中で、種まきは人の誕生を表し、麦刈りは人の死を表します。
また、キリスト教社会では「熟れた麦畑」は「刈り入れ時が近い」=「死期が近い」と死を連想させます。
他にも、不吉な黒い鴉や荒れた空などが死という主題にふさわしいとして、ゴッホを題材とした伝記小説や映画によって《鴉の群れ飛ぶ麦畑》がゴッホの最後の作品ということにされてきたのです。
ゴッホの最後を飾るのに最も適した絵とされていますが、実際にはなんの根拠もありません。
真相は謎に包まれたままなのです。
まとめ
フィンセント・ファン・ゴッホとは…
ゴッホに学ぶアートの思考法
現代に生きる僕らはゴッホから何を学べるのか?
ここまでで、あなたはゴッホについて学ぶことができました。
ここからは炎の画家ゴッホから学ぶアートの思考法についてお話ししていきます。
ゴッホから学ぶアートの思考法は弁証法的思考力です。
「え?弁証法ってなに???」
…とあなたは思うかもしれませんね。
弁証法を簡単にまとめると、矛盾した2つの立場を統一させ、次元上昇させて新たな考えを生み出すことです。
もう少し具体的に説明しましょう。
まず最初に、ある主張(テーゼ)があり、その主張を否定するもう1つの主張(アンチテーゼ)が現れます。
そしてその矛盾する2つの主張の良いところを取り入れて統一するのです。
このように矛盾した2つを統合して次元上昇させることをアウフヘーベンと言います。
矛盾した主張をアウフヘーベンさせて新たな考え(ジンテーゼ)を作り出せば、次元が上昇した新たな知識が完成するのです。
そしてまたその新たな考え(ジンテーゼ)を否定する考えが現れ、アウフヘーベンを繰り返していく。
このように人間が絶対知(真理)に近づいていくための手法を弁証法と呼びます。
弁証法をまとめると、
↓
アウフヘーベン(次元上昇)
↓
新たな「主張C」
そして…
↓
アウフヘーベン(次元上昇)
↓
新たな「主張E」
・
・
・
という流れを繰り返し、真理へと近づいていくのです。
例えば、あなたが「ダイエットがしたいけど、スイーツも食べたいな〜」と思っていたとします。
「ダイエットがしたい」と「スイーツが食べたい」は矛盾した立場ですよね。
この2つをアウフヘーベンするとどうなるのか?
それは「低カロリーなスイーツを食べる」ということです。
ダイエットとスイーツのどちらも切り捨てず、お互いを補完しながら次元上昇しています。
これが「どちらかを我慢する」という考えになるとアウフヘーベンしたとは言えません。
アウフヘーベンは、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)のどちらも否定せず、相互補完する形でジンテーゼ(合)を生むのです。
このような弁証法的思考はビジネスでも役に立ちます。
例えば、あなたはフリクションボールペンという商品を知っていますか?
この商品は「ボールペンなのに、文字が消せる」という2つの矛盾した機能が統一(アウフヘーベン)された画期的な商品です。
事実、フリクションボールペンは大ヒットにつながりました。
また、ビジネスの会議で2つの意見が衝突した時など、弁証法的思考でさらに良いアイデアが生まれることもあるでしょう。
弁証法は僕らの実生活に応用できるものなのです。
でもゴッホと弁証法ってどう繋がっているのでしょうか?
あなたはゴッホの人生を一言で表すとなんだったか覚えていますか?
そう、「宗教と自然の葛藤」です。
つまりゴッホは宗教と自然をアウフヘーベンできなかったから、その2つの矛盾という苦しみから逃れられなかったのです。
ゴッホも宗教と自然を統合した概念を導くことができたら、彼なりの「幸せ」の1つを見出せたかもしれません。
人は誰しもあらゆる矛盾の中で生きています。
そしてその矛盾を解決できないからこそ、苦しみ、悩むのです。
例えば、「もっと自由に好きなことをして生きたいけど、お金を稼ぐために仕事をして忙殺される毎日を送っている」という矛盾は多くの人が抱えているでしょう。
その結果、鬱病や過労死などのニュースを度々目にします。
それではまるで夢に破れて銃で自殺したゴッホと同じではないでしょうか?
では「もっと自由に好きなことをして生きたいけど、お金を稼ぐために仕事をして忙殺される毎日を送っている」という矛盾をアウフヘーベンしたらどうなるでしょう?
それは「好きなことをしながら、お金を稼ぐ」ということですよね。
あとはその方法を探すだけです。
実際「好きなことをしながらお金を稼ぐ方法」はたくさんあります。
調べればたくさんの情報が出てくるのです。
でも「好きなことと、お金を稼ぐことは別のこと」というように、それぞれが分離してして考えていたら?
そもそも「好きなことでお金を稼ぐ方法」を調べるという行為すらできないのです。
それではゴッホのように矛盾を解決できず、一生矛盾の中で苦しむしかありません。
しかしあなたはもう大丈夫。
僕らはゴッホから弁証法的思考力を学ぶことができました。
今後の人生で、矛盾をアウフヘーベンさせていくかどうかは、あなた次第です。
それを教えてくれたゴッホの生き様に、僕らは感謝しなければいけませんね。
ではでは。