「印象派って結局なんなの?」
もし友達にそう聞かれたら、あなたはどう答えますか?
印象派は世界中にファンがいる西洋の芸術運動であり、画家たちのグループの総称です。
日本でも大人気で、美術館で印象派展が開催されると、連日多くの人が美術館へと足を運びますよね。
僕も大好きです。
しかし「印象派って結局どういう美術なの?」そう聞かれて答えられる人は意外と少ないように思います。
ギクッとしたあなたもその1人かもしれません。
でも安心してください。
今回の話を聞くことで、
- 印象派とはどんな美術か?
- 印象派はどのようにして生まれたのか?
- なぜ日本人は印象派が好きなのか?
- 現代の僕らは印象派から何を学べるのか?
…といったことを、あなたも理解できるはずです。
これはアート通ぶれるやつですよ。
それでは早速、印象派の物語覗いてみましょう。
印象派とは?
あなたも印象派という名前は聞いたことがあるかと思います。
でも印象派がどんな芸術様式か説明できるかは、また別の問題ですよね。
僕が印象派を一言で表すなら「一瞬の光を切り取る芸術」といったところでしょうか。
印象派の絵画と他の絵画は何が違う?
まず印象派は印象派以前の絵画と何が違うのかを見ていきましょう。
印象派以前の絵画では、神話の場面を描いた宗教画が一番価値が高いとされていました。
画家自身が聖書を理解できる教養が必要だったからです。
しかし印象派では、宗教画ではなく当時の中流階級を中心とした風俗画や風景画が多く描かれました。
これは神の時代から人間の時代への転換期だったことが影響されています。
印象派が誕生した19世紀後半は、産業革命により科学が飛躍的に進歩しました。
すると宗教の力が弱まり、科学(=人間)の力が増していったのです。
人間ってすごい。
そのような時代背景から、昔から語り継がれる神話の持つ永遠性から、儚くも力強い人間の持つ瞬間性に価値観が見出されていきました。
印象派には、永遠性より今この瞬間を切り取るという美学があるのです。
時代背景を見ると、芸術様式の姿がはっきり見えてくるの、面白いですよね。
つまり、
ということです。
また、印象派は今までの形式化された美しさや古い絵画表現にとらわれることなく、より自由な絵画表現を求めた西洋の芸術運動でもあります。
もうやりたい放題やんけ。
印象派の父、エドゥアール・マネ
実は印象派が誕生するキッカケとなった画家がいます。
それがエドゥアール・マネです。
西洋美術の世界ではマネは印象派の父と呼ばれています。
実はこの人、世界的に物議を醸した絵画を描いちゃったんです。
それが《草上の昼食》という絵画です。
さあ、ここでクイズです。
あなたはこの絵に何か違和感を感じますか?
……。
自分なりの答えは出ましたか?
そろそろ答え合せをしていきます。
もう一度《草上の昼食》を見てみましょう。
まずこの絵の登場人物は、男性2人、女性2人の計4人です。
そしてまず目がいくのは、一番左でこちらを振り返る裸婦ですね。
そう、まさにこの女性が「違和感」なのです。
男性2人は服を着ているのに、どうしてこの女性は服を着ていないのでしょうか?
ではここで、同じ時代に同じ「裸婦」というモチーフを描いた違う絵と比べてみましょう。
2つとも「裸婦」を描いた作品です。
しかし1枚目の《ヴィーナスの誕生》に描かれる裸婦には何も違和感を感じません。
それは波の上に寝転んだり、空を飛ぶ天使たちという非現実的な状況から、この裸婦が女神ヴィーナスであることがわかるからです。
当時、宗教画や神話を描いた作品では、女神は服を着ていない裸婦として描かられることが普通でした。
なので女神であるヴィーナスが裸婦として描かれていることに当時の人は何も違和感を感じなかったのです。
しかし、《草上の昼食》の裸婦は女神でしょうか?
よく見ると、男性2人は裸ではなく普段着で描かれています。
そして裸婦の手前には脱ぎ捨てられた服があることから、もともとこの女性は服を着ていて、その服を脱いだということになります。
つまり彼らは神や女神ではなく、普通の一般市民なのです。
女性は娼婦で男性は中流階級とも言われています。
当時、一般市民の女性をヌードで描くという文化はなく、「なんだこのハレンチな絵は!!」と衝撃を与えました。
マネは相当なバッシングも受けていたのです。
「裸婦を描く=女神でなければならない」はずが、ここに描かれているのは一般的な女性なのですから。
分かりやすく言うと、学校の教科書にエロ本のページを挟み込んで授業する先生がいたらPTAが黙っていないですよね?
まあ、そういうことです。
しかしこの《草上の昼食》こそ、神ではなく人間、つまり永遠性ではなく瞬間性を捉えようとした印象派の源流ともなる作品なのです。
西洋美術史においても、とても重要な絵画なんですね。
エロ本も馬鹿にできないってことです(違う)
印象派の名前の由来は?
ところで、あなたは印象派がどうして「印象派」と呼ばれているか知ってますか?
「印象派」という名前は、画家クロード・モネの《印象・日の出》という絵画が由来となっています。
今度はマネジャなくてモネです。
ややこしや。
クロード・モネについてもっと詳しく知りたい場合は、こちらの記事を参考にしてください。
印象派の巨匠クロード・モネ。 日本でも頻繁にモネ展が開催されるほど大人気の画家です。 しかし、 名前は聞いたことがあるけど、実際どんな画家だったのかは知らない… モネの絵画って何がすごいの? てかモネってどんな[…]
実は最初は印象派の画家は自分たちで印象派を名乗ったわけではありません。
印象派という名前はモネの《印象・日の出》をもじってルイ・ルロワという美術批評家が名付けたのが始まりです。
第一回印象派展
《印象・日の出》は、第一回印象派展という展覧会にモネが出品した絵画です。
当時、画家の成功といえば、サロン(官展)で評価されることでした。
しかしモネなどの若い画家たちの絵画は、サロンではあまり評価されず、ことごとく落選してしまいます。
「落選って…もしかして、みんな絵が下手だったの?」
いやとんでもない。
当時のサロンが求めていた絵画は古典的な絵画表現だったのです。
それに対して若い印象派の画家たちが描いた絵は、当時の絵画にしては斬新すぎたんですね。
先ほど解説したように、サロンは絵画に永遠性を、若い画家たちは瞬間性を表現しました。
当時の絵画表現おける価値観の違いによって、若い画家たちはサロンで評価されることが少なかったのです。
当時のサロンは一般的な判断基準になっていましたが、審査に不満を持つ画家も大勢いました。
そうしたサロンへの不満から、若い画家たちはサロンに代わる新しい発表の場を求めて個展を開くようになっていきます。
そしてサロンに落選した芸術家を集めて開いたのが、後に「第一回印象派展」と呼ばれる歴史的な展覧会なのです。
つまり「評価してくんないなら俺らだけでやってやるよ!」というアウトサイダーの集まりだったのです。
ロックじゃん。
印象派の絵は、古典的な絵画表現が評価されていた当時ではなかなか受け入れられず、むしろ「ヘタクソな絵」と批判されいました。
遠近法などを利用して精密に描く古典的な絵画に比べて、印象派は大胆な筆つかいや、全体的にボヤッとした絵画が特徴です。
当時の批評家が印象派の絵画を見て「描きかけの壁紙の方がまだ完成している」と言ったほどでした。
めちゃくちゃディスられてます。
それほど当時の美術的価値観と印象派の価値観が大きくズレていた、ということです。
今では「展示に困ったら印象派をやれ」と言われるほど大人気の印象派も、最初は受け入れられない美術だったんですね。
何事も新しい時代を築く人たちは、茨の道を通ることが宿命なのかもしれません。
僕はそんな姿に魅力を感じてしまうんですけどね。
次からは印象派の特徴についてもっと詳しく見ていきましょう。
印象派の3つの特徴
印象派といえば、日本人なら全員好きだと言っても過言ではないほどの人気ですよね。
そんな印象派ですが、ザックリと3つの特徴があります。
その3つの特徴が、
- 戸外制作
- 筆触分割
- 日本美術の影響
です。
印象派はこの3つの特徴さえ覚えておけば、大体OKです。
1つずつ解説していきます。
1. 戸外制作
印象派以前の画家の制作場は主にアトリエでした。
それに対し、印象派の画家たちは屋外で絵を描くことが多かったのです。
どうしてアトリエじゃなくて屋外で描くようになったのでしょう?
それはチューブ絵の具の発明が大きく関わっています。
あなたが小学校や中学校の美術の時間で使っていた絵の具を思い浮かべてください。
チューブに絵の具が入っていて、チューブを絞ってパレットに絵の具を出していませんでしたか?
実は今では当たり前になっているチューブ絵の具は、印象派が活躍し始める頃に発明されたものなのです。
チューブ絵の具の発明によって、絵の具を簡単に持ち運べるようになると、画家たちは積極的に戸外スケッチをするようになりました。
それまでも持ち運べるような瓶に入った絵の具はありましたが、すぐに絵の具が乾いてしまったり、色々と手間がかかるなどの理由から画家達には普及しなかったようです。
また、この頃鉄道が開通したことも画家たちを外の世界へ連れ出す大きな要因の1つとなりました。
屋外で描く絵は必然的に自然に触れることが多くなり、風に揺られる木々や草花、刻一刻と移り変わる光の変化に多くの画家達は魅了されたことでしょう。
そして揺らめく光の変遷にみる瞬間的な美しさをそのキャンバスに自由に表現していったのです。
印象派の絵は、近くで見ると筆あとがはっきり分かるほどの大胆な筆つかいも1つの特徴です。
これは印象派の画家が光の表情を逃さないために、戸外制作で素早く絵を描いていたのも1つの要因でした。
2. 筆触分割
印象派の絵画って明るい色彩のものが多い気がしませんか?
実はそれにも理由があるんです。
印象派の特徴的な技法の中に「筆触分割(あるいは色彩分割とも呼ぶ)」があります。
これは、パレット上で色を混ぜずにキャンバスに絵の具をのせ、隣接する色同士が影響しあい、色が混ざって見える技法のことです。
普通、絵の具というのは混ぜれば混ぜるほど色は暗くなります。
あなたも学生の頃、美術の時間でたくさんの絵の具を混ぜたら、なんだか濁った色ができた!なんて経験があるかもしれません。
しかし印象派の画家は光の表現を重要視したので、色彩を明るいままにしたかったのです。
そこで、絵具をパレットの上で混ぜるのではなく、キャンバス上に混ぜたい色を隣同士で置き、離れてみると色が混ざって見えるようにしました。
こうすることで、色のトーンは明るく保ったまま様々な色を生み出したのです。
一種の目の錯覚を利用しているんですね。
このような理由から、印象派の絵は近くで見るとただ絵具を雑に塗っているように見えるけれど、少し離れてみると驚くほど繊細な表現に見えたりします。
絵画との距離を変えながら鑑賞するとよくわかるので、美術館で試してみてください。
移り行く一瞬の光を逃さない印象派の画家にとって、光を表現するために絵画の全体イメージを明るくしたかったのでしょう。
その結果が筆触分割だったのです。
また色彩表現においては黒色をあまり使わないことも印象派の特徴です。
影になっている部分を青紫などで表現したりします。
影も光の領域と捉えていたんですね。
3. 日本美術の影響
僕ら日本人は印象派が好きです。
でも日本人はなぜ印象派が好きなのでしょうか?
それにも実は理由があったのです。
実は日本美術が印象派に大きな影響を与えたことをあなたは知っていますか?
日本美術ってすごいんですよ。
19世紀のヨーロッパでは浮世絵を中心に日本の美術が大流行しました。
安定した構図で遠近法を使った描き方が主流だった当時の西洋にとって、浮世絵の大胆な構図や余白の表現に衝撃を受けたのです。
そして西洋美術に日本美術(特に浮世絵)の表現方法を取り入れようとしたこの運動をジャポニスムと言います。
ジャポニスムに影響された印象派は、まず明らかに構図がそれまでの絵画表現とは違います。
それまでは遠近法をしっかり使った空間表現が主流でした。
しかし印象派は古典的な遠近法はあまり使わず、平面的な空間表現をする画家が多かったのです。
ルネサンス(古典)の作品と印象派の作品を見比べてみましょう。
まずはルネサンスの作品から↓
続いて印象派の作品です↓
レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》はキリストを中心に、一点透視図法の遠近法を使いながら、全体を画面に綺麗に収めた構図です。
それに対してモネの《舟遊び》は平面的でボートの端が画面から切れているという大胆な構図になっているのが分かります。
ルネサンス(古典)の《最後の晩餐》は額縁に対して平行に構図をとっています。
しかし印象派の《舟遊び》はボートが額縁に対して斜めの構図になっているのです。
さらにモネの《舟遊び》は奥行きがなく平坦な印象ですね。
この平面的で大胆な構図は日本の浮世絵の影響があるのです。
《舟遊び》の表現方法は極めて日本的です。
このように日本美術の表現をを西洋美術に取り入れていったのがジャポニスムです。
日本美術が西洋に与えた影響は計り知れません。
絵画以外でも、建築やデザインにはアール・ヌーヴォーなども日本美術の影響なのです。
印象派の画家たちとその作品
印象派がどんな美術なのか、あなたも理解できたかと思います。
今の時点で十分「印象派通」を名乗れるレベルです。
次は印象派の代表的な3人の画家たちを紹介していきます。
それが
- クロード・モネ
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
- エドガー・ドガ
の3人です。
1人ずつ紹介します。
※エドゥアール・マネは印象派??
印象派は、マネの《草上の昼食》などがきっかけに成長し、実際マネは「印象派の父」とも呼ばれています。
しかし、厳密にはマネ自身は印象派ではないのでここでは語らないこととします。
マネごめんね。
クロード・モネ
まず印象派を語る上では外せないのがモネです。
印象派を語る上でモネを語らない人はいないでしょう。
印象派の中心的人物で、最重要人物でもあります。
おそらくあなたもモネの名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?
モネは「印象派の巨匠」「光の画家」「水のラファエロ」など、数々の名で呼ばれるほどの偉大な画家でした。
そんなモネの人生は波乱万丈だったと言えます。
家族の死、そしてモネ自身も画家の命というべき眼に白内障を患うなど、モネの人生には多くの災難が襲いかかりました。
しかしそんな数々の災難を乗り越えた先に、《睡蓮》や有名な「モネの池」をこの世に残したのです。
クロード・モネについて詳しく知りたい場合は、こちらの記事を参考にしてください。
印象派の巨匠クロード・モネ。 日本でも頻繁にモネ展が開催されるほど大人気の画家です。 しかし、 名前は聞いたことがあるけど、実際どんな画家だったのかは知らない… モネの絵画って何がすごいの? てかモネってどんな[…]
ピエール=オーギュスト・ルノワール
ルノワールもモネに並ぶ印象派の代表格です。
モネが風景画ならルノワールは人物画です。
ルノワールは若い時からモネと友人で、よくモネと一緒に共同制作などもしていました。
ルノワールは貧しい画家でしたが、1870年代末まで理解ある画商や後援者に恵まれました。
その後、印象派から徐々に離れ、素描と体系的構造を重視するようになっていったのです。
エドガー・ドガ
ドガは印象派の中でも少し変わった画家です。
どこの世界にも変わり者っているものですね…。
ドガは他の印象派とは少し毛色が違いました。
ドガは風景画ではなく近代生活を主題としていたのです。
また、ドガは印象派の特徴である戸外制作よりも、アトリエ制作を好んだ珍しい印象派の画家でした。
ドガは消えていく瞬間を描こうとしましたが、そのために光を観察するのではなく、写真の無作為の効果を真似することがドガ流だったのです。
まとめ
印象派は美術界にとって、様々な方面に大きな影響を与えた重要な芸術家グループです。
その後も新印象派やポスト印象派という芸術家グループが生まれ、20世紀の現代美術への道を切り開いていったのです。
新印象派とポスト印象派については、こちらの記事にまとめています。
印象派は有名で、あなたも名前くらいは聞いたこともあるかもしれません。 しかし新印象派やポスト印象派と聞くとどうでしょう? 「え?印象派と何か違うの?」 …と思うかもしれませんね。 新印象派とポスト印象派は[…]
印象派に学ぶアートの思考法
現代人の僕らが印象派から学べることはなんだろうか?
それは「挑戦と社会の関係」です。
印象派が登場した時代は、伝統的な絵画表現が見直されたり、西洋に日本美術が影響を与えたりと美術界の転換期でもありました。
そんな中、印象派を引っ張ったモネは新たな絵画表現に挑戦します。
しかしそれまでの古典的な絵画表現を評価するサロン(もしくは一般的な社会や常識)はそのモネの挑戦を否定しました。
また、印象派の父と呼ばれたマネも、評価されずむしろ多くのバッシングを受けていたのです。
そう、新しいことへの挑戦は常に否定されるものなのです。
それは笑われたり、バカにされたり、罵倒されたりと、様々な形でやってきます。
しかし挑戦はどうして否定されてしまうのでしょう?
実はその答えは人間の脳の機能にあります。
人は慣れ親しんだ環境を守りたい習性があるので、新たな挑戦を基本的に嫌うようにできています。
これは脳科学的に証明されていることです。
なので挑戦を否定したり挑戦を避けてしまうのは、誰にでも当てはまることで、むしろそれが当たり前なのです。
それは誰もが持っている脳の機能なのですから。
あなたも大事な決断ほど「挑戦したい自分の意見」より周りの「現状のまま変わらなくていい意見」を採用してしまった経験ありませんか?
本当にやりたい道に進むべきか、無難な道に進むべきか、友人や家族に相談した結果無難な道に引き込まれた…なんてことは、誰しもが経験することです。
それも「損をしたくない」「今の心地いい生活を失いたくない」という脳の基本的な機能による判断なのです。
これは誰もが持っている損失回避性という脳の機能です。
例えばコインを投げて裏表を当てたら10万円が貰える、しかし外したら10万円を払わなければならないゲームがあったとします。
あなたはこのゲームに参加しますか?
参加しないですよね。
人は10万円もらう得と、10万円失う損だったら、「損をしたくない」という気持ちの方が大きいのです。
これが損失回避性という機能です。
この誰もが持っている脳の基本的な機能によって、僕らは挑戦よりも現状維持を求めるようにプログラミングされています。
しかしアートに限らず、科学や哲学もまた、既存のものを乗り越えることで成長するものです。
成長は古い価値観や常識に縛られていては決してなし得ないものなんです。
モネも古い価値観や常識を持ったサロンに否定されながらも、その批判に負けず自身の追求する新たな絵画表現を貫きました。
当時は「描きかけの壁紙の方がまだ完成している」と言われるほどモネの評価は低かったのです。
相変わらずディスられてる。
しかし、今となっては「印象派のモネ」は1つのブランドとして、世界中から高く評価されていますよね。
もしあなたが…
- 今何かに挑戦しようとしてるけど、周りの人に反対されて勇気が出ない
- 本当はやりたいことがあるのに、怖くて挑戦できない
- ついつい親や友人の意見に流されて、自分のやりたいことを諦めてしまう
…そんな悩みがあるとき、「あぁ、自分は本当にダメな人間だなぁ」なんて思う必要はありません。
だって、そう思うのが脳科学的に当たり前だからです。
「とは言っても、じゃあどうすればいいの…?」
大事なのは、自分の本質を意識して生きることです。
自分の本質とは「何かに挑戦したい」と思った時に「なぜそれに挑戦したいのか?」ということです。
例えば、画家を目指す若い青年が4人いたとして、4人それぞれに画家を目指す理由があるはずです。
- 昔から創造性を発揮して生きたいと思っていたから
- 自分が社会にメッセージを投げかける時に一番合うと思ったから
- 絵を描くことで人を喜ばせることができるから
- 画家を皮切りに、様々な芸術性を手に入れたいから
…などが、彼らの本質なのです。
同じ画家を目指していても4人の本質は異なるので、画家という職業は同じでも、生き方は全く異なるものになるでしょう。
要するに彼らの本質を体現するのに「画家という職業」が一番相性が良かったというだけなのです。
画家になりたいのではなく、自分の本質を体現したいのです。
このように自分の本質を理解することで、社会の常識や周りの意見に流されることはなくなります。
もし周りに流されてしまうのであれば、それは自分の本質が見えていないからです。
自分の本質が見えていないということは、自分の選択するときの基準がないということ。
自分の本質が見えていないと、選択の基準が他者の意見になってしまう(=流されてしまう)ということですね。
芸術家に「我が強い」というイメージがあるのは、まさにここに理由があるのです。
芸術家は自分の本質がしっかり見えているから、周りの意見に流されることはありません。
僕らはその生き方に魅力を感じるし、僕ら自身も芸術家のように生きるべきなのです。
僕らは印象派から、時代や社会的常識じゃなくて自分の本質をまっすぐ突き詰めたら、いつか環境が追いつくということが学べます。
なんとなく周りに合わせて学校を卒業して会社に就職して…っていう道を現代の人は選びがちです。
人と違うことをするのは大変なことだけど、それは同時に価値のあることなのです。
想像してみてください。
もしモネがサロンなどの批判を気にして、古典的な絵画表現をしていたら?
もしかしたら印象派のあの美しい作風は生まれなかったかもしれません…。
自分の一番大事にしたい本質をちゃんと持っていれば、誰にも流されずに芸術家のように生きることができます。
誰かに評価してもらうための絵じゃなくて、自分が本当に描きたい絵を描くのです。
それは僕らの人生も同じこと。
印象派の画家たちが社会的な常識に縛られず、彼らの本質的な表現を貫いたように、あなたも絶対に曲げない本質を持っていますか?
そしてあなたは自分の人生というキャンバスにどんな絵を描きたいでしょうか?
そうやってあなたが「自分の本質は何だろう?」と自問自答し始めた今この瞬間から、芸術家としてのあなたの新しい物語が始まるのです。
もしそれでも他人の意見に流されそうになったとき、印象派の画家たちが彼らの本質を貫いたことを思い出せば、勇気が湧いてくるかもしれません。
あなたの本質が見つかったという嬉しい報告が来ることを、僕も心待ちにしています。