ゴッホの《ひまわり》に隠された夢と絶望の物語とは?

「ゴッホと言えば《ひまわり》だよね?」
…なんて言えるくらい、今回のテーマの《ひまわり》は有名です。

 

ゴッホは誰でも聞いたことがある超有名な芸術家ですよね。
そのゴッホの代表作と言えば、あなたも《ひまわり》を思い浮かべると思います。

しかしあなたは《ひまわり》に隠された、ゴッホの夢と絶望の物語を知っていますか?

 

今回はアート初心者に分にもわかりやすく《ひまわり》の謎を解説します。
あなたにアートの知識がなくて理解できるので安心してください。

今日で《ひまわり》のイメージが今までとは全く違うものになるはずです。

 

さらにもしあなたがこのページを最後まで読めば、情報発信における自分の世界観の作り方が理解できるようになるでしょう。(これはココでしか聞けないアートの思考法なのでお見逃しなく!)

 

それでは一緒に《ひまわり》にまつわるゴッホの夢と絶望の物語を紐解いていきましょう。

ゴッホの《ひまわり》とは?

ゴッホの《ひまわり》といえば、こちらの絵が有名です。

この絵画はあまりにも有名です。
しかしあなたはゴッホがなぜひまわりを描いたのか知っていますか?

「ゴッホがひまわりを好きだったから?」

しかしゴッホは生涯で約2年ほどの短い期間しかひまわりを描いていません。
しかもひまわり単体で描いた絵画は7つしか無いのです(一点消失のため現存するのは6つ)。
ひまわりの花が好きなら、もっとたくさん描いてもいいはずですよね?

どうやらゴッホがひまわりを描いたのには、何か訳があるようです。

 

実はゴッホの《ひまわり》には、このような意味があります。

  1. ゴッホの信仰心の象徴
  2. 芸術家たちを集めた家に飾るための絵画だった

これからこの2つの視点でゴッホの《ひまわり》を解説していきます。

 

「ひまわり」はゴッホの信仰心の象徴

ひまわりが信仰心の象徴とはどういうことなのでしょうか。
まずはゴッホの人生観から見ていきましょう。

ゴッホの人生

ゴッホの生涯は宗教との戦いでした。

ゴッホはまず絵を売る画商になりますが、すぐにクビになってしまいます。

首になったゴッホは次にキリスト教の教職の1つである伝道師を目指します。
これはゴッホの父は神父であったことが影響としてあるのでしょう。
しかし、伝道師もうまくいきませんでした。

また、ゴッホは様々な文学に触れており、中でもエミール・ゾラをはじめとした自然主義文学に影響を受けています。

自然主義とは、あらゆる美化をせず、自然的なものを基盤として世界を客観的に映し出す芸術的態度のこと。

 

宗教と自然主義(世俗的)の狭間で葛藤を繰り返すのがゴッホの人生であったといえます。

 

ゴッホの詳しい人生はこちらの記事にまとめているので、参考にしてみてください。

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アルルの太陽

ゴッホは南仏のアルルという自然豊かな土地で暮らした時期があります。
このアルルに暮らした時期が、ゴッホの人生で最も幸福な時間でした。

 

今まで何をしても上手くいかなかったゴッホは、アルルに夢を見たのです。
アルルの南仏の太陽には、訪れた人をウットリさせる不思議な力がありました。
ゴッホもまた、そんな南仏の太陽に憧れたのでした。

ゴッホは南仏アルルの太陽に魅了された。

 

ひまわりと太陽

ゴッホは神父だった父の影響もあってか、宗教に対して熱い想いがありました。
そのため初期のゴッホの絵には、小さな教会が多く描かれているのです。

 

しかしゴッホは画商をしても伝道師を目指しても上手くいきませんでした。
次第に宗教と世俗のどちらを信じていいのかわからなくなってしまいます。

 

この頃からゴッホの絵画から教会の姿が消えるのです。
そして今まで教会が描かれていた場所に代わりに描かれたのが太陽でした。

ゴッホにとって南仏の太陽は、ただの太陽ではなく、信仰の対象だったのです。
それを求めて芸術家が集まる神の代替物として太陽を描き始めました。

 

ゴッホは宗教を疑いつつも、心の何処かにある宗教心を忘れることができませんでした。
その思いを教会ではなく、あえて太陽という象徴的な形で描いたのです。

宗教を疑いつつも捨て去ることはできないゴッホの心境が、太陽として現れたのです。

ゴッホにとって太陽は神の代替物で信仰の対象だった。

 

太陽が信仰の対象だとすると「ひまわり」が象徴するものはなんでしょうか?
太陽に象徴的な意味があるように、ひまわりにも意味があるのです。

 

ひまわりは古くから、太陽の方を向く花として信仰心や愛といったモチーフとして描かれることがありました。
牧師の息子であったゴッホがこのひまわりの持つ象徴的意味を知らないはずがありませんよね。

つまり《ひまわり》は太陽(=神)に対する、ゴッホ自身の拭いきれない信仰心そのものとして描かれたのです。

信仰心を表現する花として、「ひまわり」は他のどの花よりもふさわしい花でした。

 

つまり、

「常に太陽(神)を向いているひまわり」=「神に対する信仰心」

ってことです。

ゴッホにとって、太陽(神)を常に向くヒマワリは信仰心の象徴だった。

 

ゴッホは《ひまわり》は芸術家たちが集まる家に飾るはずの絵画だった

ゴッホは南仏アルルで、ある夢を見ていました。

それは南仏の太陽を信仰する芸術家を集め、兄弟愛に満ちた芸術家の共同体を作ること。
実際に知り合いの芸術家たちと暮らすための「黄色い家」と呼ばれる家を借りて、数人の芸術家たちを招待しています。
芸術家たちのシェアハウスといったところでしょうか。

 

ゴッホはその狂人じみた性格により常に孤独だったため、人とのつながりを求めていたのです。
そしてその夢の共同体「黄色い家」に飾る絵として、ゴッホは《ひまわり》を描きました。

 

先ほど話したように、ひまわりには「信仰心」や「愛」といった象徴的な意味があります。
「黄色い家」で兄弟愛に満ちた芸術家仲間との共同生活に、最も相応しかったのがひまわりの絵だったのです。
《ひまわり》にはゴッホが夢見た芸術家仲間との共同体への思いが込められているんですね。
素敵やん…。

ゴッホは夢の共同体である「黄色い家」に飾る絵として《ひまわり》を描いた。

ゴッホ、夢破れて

ゴッホはアルルの「黄色い家」に多くの芸術家を招待しました。
しかし実際にその共同体に参加したのは画家ポール・ゴーギャンただ1人でした。
どんまいゴッホ。

 

ゴッホとゴーギャンは一緒に共同生活を送ることになります。
そかしその生活も2ヶ月で幕を降ろすことになるのです。
お互いの意見の違いにより、ゴーギャンはゴッホのもとから離れてしまいました。
どんまいゴッホ(2回目)

 

こうしてゴッホの共同体の夢は儚く散ってしまうのでした。

ゴッホが夢に見た共同体としての「黄色い家」に飾るはずだった《ひまわり》。
その鮮やかな黄色い花は、黄色い家への希望と、夢破れた悲しみを同時に物語っているのです。

 


どうでしょう。
今までの《ひまわり》のイメージとは違うものに感じませんか?
《ひまわり》は希望の絵でもあるし、絶望の絵でもあるのです。

このようにゴッホは《ひまわり》に明確な意味と目的を持たせて描きました。
自らの信仰心の表れと、「黄色い家」のための絵。

しかしゴッホが夢見た共同体は儚く散ってしまいました。

だからゴッホは《ひまわり》を多くは描かなかったのです。
いや、描くことができなかった、と言った方が正しいですね。

なぜならその《ひまわり》の絵を飾る家には、誰1人として戻ってくる者はいなかったのですから…。

ゴッホの《ひまわり》はどこの美術館で見れる?

「ゴッホの希望と絶望が込められた名画《ひまわり》を実際に見たい!」
そんなあなたのために、ゴッホの《ひまわり》を鑑賞できる美術館を紹介します。

日本の美術館でもゴッホの《ひまわり》は見れる!

ゴッホの《ひまわり》は東京都新宿にある「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」で見ることができます。

「え!日本にゴッホの《ひまわり》あるの!?」
そうなんです、日本にあるんですよ。

 

なんとこの美術館、世界で6つしか現存しないゴッホの《ひまわり》のうちの1つが常設で見ることができます。
「常設」ということは、いつ行っても見れるということです。


控えめに言って最高です。

「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」の公式サイトはこちら。

あなたもゴッホの狂気をリアルで体験しに行ってはどうでしょう。

まとめ

カイト
ここでゴッホの《ひまわり》についてまとめておきます。
ゴッホは宗教と自然(世俗)の間で葛藤した芸術家
宗教に疑問を感じたゴッホは、「神」を憧れたアルルの太陽に置き換えて描いた
ひまわりはそんな太陽(神)に対する信仰心や愛の象徴として描かれた
ゴッホはひまわりを芸術家の共同体が暮らすはずだった「黄色い家」に飾るつもりだった
ひまわりは兄弟愛に満ちた共同体を迎えるのにふさわしいモチーフであった
ゴッホの夢の共同体は実現せず、ひまわりにはゴッホの希望と絶望が込められている

 

ゴッホの《ひまわり》に学ぶアートの思考法

《ひまわり》はゴッホの夢と絶望が詰まった世界的名画です。
そんな偉大な絵画から僕らが何も学べないはずがありません。

現代に生きる僕らが、ゴッホの《ひまわり》から学べることはなんでしょうか?

それは、自分の世界観の作り方です。

 

アートシーンマインドでは「自分らしさ」を1つのテーマにしています。
「自分らしさ」とは、言い換えると「自分の世界観」のことです。

 

自分の世界観を持っていると、日々の情報発信に自分の色が出るようになります。
それは他者との差別化になり、誰にも負けない武器になるのです。
(あなたが情報発信をしていなくても自分の世界観を作ることで、人生の質が向上します)

 

世界観とはつまり、あなたが「世界をどう観ているか」ということ。
その世界を見る視点にこそ、あなたの「自分らしさ」が宿るのです。

 

例えば「人生は悲劇だ」と世界を解釈している人もいれば「人生は喜劇だ」と解釈している人もいます。
前者と後者は、全く違う世界観に見えるでしょう。

つまりそこに他者との「差別化」ができるのです。
あなただけの視点によって作られた「世界観(自分らしさ)」が最高の差別化なのです。

 

差別化ができるということは、それだけ「あなたが選ばれる理由」になるということでもあります。
あなたが情報発信をするにしても、ビジネスを始めるとしても、多くのライバルの中かから「あなたが選ばれる理由」がなくてはいけません。

逆にこの世界観(選ばれる理由)を作ることができたら、これからの時代を生きやすいものにすることができるでしょう。

 

「でもどうやって自分の世界観を作ったらいいのかわかんないよ…」

そんなあなたのために、ゴッホの《ひまわり》を参考に世界観の作り方を学んでいきましょう。

 

あなたは「ひまわり」と聞いて、どんなイメージを持つでしょうか?
ほとんどの場合は、「夏の花」「元気」「黄色い」といったところでしょうか?

また、植物的に答えるなら、ひまわりはキク科の一年草です。

 

ところがゴッホは「ひまわり」を「信仰心の象徴」と捉えていたのです。
それがゴッホの「ひまわり」の定義なのです。
ゴッホの定義によって、ゴッホが世界をどう観ているかがわかるのです。

このように、自分の世界観(自分らしさ)とは、あらゆるものに対して自分の定義を持つことによって作られます。

  • ひまわり=キク科の一年草
  • ひまわり=夏の花

というイメージは世間一般的なものであり、そこに何の意味もありません。

 

しかし「ひまわり=信仰心」と定義することで、ゴッホにしか語れない世界観が表現できるのです。

 

僕はアートとはただの教養ではなく、価値観や感性であり、人生の質を高めるための教育コンテンツだと定義しています。
これも僕の世界観から出てきた1つの言葉なのです。

 

自分らしくクリエイティブに生きるには、世界を広辞苑の辞書に書かれている言葉で理解するのではなく、

「私にとって〇〇は△△だ」

と言ったように、自分の言葉で解釈するべきなのです。

 

辞書に載っている言葉は社会的な定義であり、それは常識と呼ばれます。
しかし社会の定義に従って生きているということは、自分の人生ではなく、誰かの人生を生きているということなのです。

 

ゴッホが、キク科の一年草である「ひまわり」を「信仰心の象徴」と定義したように、あなたの世界はあなたの定義で表現しましょう。

世界の全ては、あなたが意味を持たせて初めてあなたの人生にとって意味のあるものになります。

 

あなたにとって『アートシーンマインド』は何ですか?
あなたにとってアートとは何ですか?

 

さあ、世界をもっと自由に観てみよう。

 

 

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