印象派の巨匠クロード・モネ。
日本でも頻繁にモネ展が開催されるほど大人気の画家です。
しかし、
- 名前は聞いたことがあるけど、実際どんな画家だったのかは知らない…
- モネの絵画って何がすごいの?
- てかモネってどんな作品があるの??
もしかしたらあなたもそんなことを思っているかもしれません。
でも安心してください。
今回は初心者にも分かりやすく画家モネについてじっくり解説します。
実は印象派の華やかな作風とは裏腹に、モネの人生は波乱万丈なものでした。
今回の話を聞けば今日からあなたもモネ展を10倍楽しめるようになります。
さらにこのページを最後まで読めば、ココでしか聞けないモネに学ぶアートの思考法を解説しているのでお見逃しなく。
さあ、一緒にモネの物語を覗いてみましょう。
モネと印象派
出身:フランス
出没年:1840年〜1926年
様式:印象派
活躍:絵画
特徴:移ろう一瞬の光を切り取った光の画家
代表作:《睡蓮》《印象:日の出》
印象派の巨匠として知られるクロード・モネ。
モネの作品は印象派の特徴がふんだんに使われています。
印象派はモネを中心にした芸術運動と言っても過言ではありません。
モネの歴史は印象派の歴史であり、印象派の歴史はモネの歴史なのです。
ということで、モネの魅力を知るためにも、印象派を合わせて学んでみてください。
「印象派って結局なんなの?」 もし友達にそう聞かれたら、あなたはどう答えますか? 印象派は世界中にファンがいる西洋の芸術運動であり、画家たちのグループの総称です。 日本でも大人気で、美術館で印象派展が開催される[…]
モネの作品と生涯
印象派の特徴を復習すると、
- 分割筆触
- 戸外制作
- 日本美術の影響
という3つの特徴がありました。
モネの絵画はこの3つの特徴が分かりやすく表現されています。
そしてモネは「光の画家」と呼ばれるほど、光の表現が美しいのです。
モネは生涯を通して「光」を描いた画家で、その到達点が《睡蓮》という絵画でした。
モネはどのようにして名画《睡蓮》にたどり着いたのでしょうか。
ここからはモネの生涯を詳しく掘り下げます。
モネの作品たちを紹介しながら、一緒にモネの物語を紐解いていきましょう。
第1章:絵画への誘い
モネはフランスのセーヌ河口街であるル・アーヴルという街で幼少期を過ごします。
モネは子供の頃、商売や学業に興味を持つことができませんでした。
しかし唯一興味を持ち、その才能を示したものがあります。
それがカリカチュア(戯画)です。
そしてプレネール(戸外制作)の提唱者であったウジェーヌ・ブーダンという風景画家に出会ったのです。
ブータンはモネに、実際に外に出て自然に触れながら絵を描くことを勧めました。
モネもブータンについて、
「彼は私を閉ざされたアトリエから、光に満ちた外の世界へ解き放ってくれた」
と話しています。
こうしてモネはブータンの導きにより、果てしない芸術の旅へ誘われたのです。
モネ曰く、
「突然ヴェールを引き裂かれ(中略)絵描きとしての運命が私の目の前に開けたのだ」
…と、当時を振り返っています。
第2章:パリの若き画家たち~サロンへの挑戦〜
モネは画家として活躍するためにパリへ出ました。
そしてパリで多くの仲間たちと出会ったのです。
そこには若き日のルノワールやシスレーといった、のちに印象派として有名になる若き画家たちがいました。
この時代は画家の登竜門としてサロン(官展)で評価されることが全てでした。
もちろんモネやその仲間たちも次々にサロンに絵画を提出しています。
そしてモネは、のちの妻となるカミーユをモデルに描いた《カミーユ(緑衣の女性)》という作品でサロンに入選します。
しかしその後《庭の女たち》などでサロン出品を目指すも落選。
その後もほとんどの作品がサロンに落選してしまいます。
これはモネが下手だった、というわけではありません。
当時のサロンの求めていた絵は古典的な絵画表現だったのです。
伝統的な遠近法などを用いた宗教画などが評価されていた時代に、荒々しい筆跡を残したモネの絵画は、当時のサロンにしては斬新すぎました。
このような芸術に対しての価値観の違いから、若手の画家たちは徐々にサロンへ不満を募らせていきます。
まあ、アートの価値観を決めつけられては気分は良くないですよね。
そうしたサロンへの不満から、モネを含む若い画家たちはサロンに代わる新しい発表の場を求めて個展を開くようになっていきます。
そしてサロンに落選した芸術家を集めて開いたのが「画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社」という展覧会です。
この展覧会こそ、後に「第一回印象派展」と呼ばれる歴史的な展覧会なのです。
第3章:印象派
第一回印象派展といったら西洋美術史の中でも伝説的な展覧会と言えるでしょう。
そして実は「印象派」という名前も、第一回印象派展に出展されたモネの「ある絵画」のタイトルが由来になっています。
《印象・日の出》
「印象派」という名前は、モネが第一回印象派展に出展した《印象・日の出》という絵画が由来になっています。
この絵画も賛否両論を巻き起こしました。
若い画家たちからは称賛を得る一方で、サロンを擁護する批評家からは、
「描きかけの壁紙の方がまだ完成している」
と言われるほど酷評されたのです。
めちゃくちゃディスられてます。
今となっては伝説的な絵画ですが、当時の価値観では理解できない人も大勢いたのです。
ルイ・ルロワという美術批評家がモネの《印象・日の出》という絵画から「画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社」に参加していた芸術家たちを印象派と呼んだのです。
そこには批判的な意味合いが込められていました。
まあ、バカにされてたってことです。
そんな中、いち早くモネの魅力を見出したデュラン=リュエルという画商とモネは出会います。
デュラン=リュエルがモネのパトロン(お客さん)となり、モネは経済的に安定し始めました。
その後モネはパリを離れ、アルジャントゥイユという小さな村で家族と暮らすようになります。
アルジャントゥイユでは妻のカミーユや息子のジャンを描いた作品が多く描かれました。
《散歩、日傘をさす女》
今にもザァーッという風の音が聞こえてきそうなこの絵画は、モネの妻カミーユと息子のジャンを描いたものです。
丘の下から見上げるようなドラマチックな視点で描かれていますね。
吹き抜ける風と、揺れながらきらめく光の移ろいに、野外制作の臨場感が感じられます。
逆光で青紫に染まった白いドレスは、黒い絵の具を極力使わない印象派ならではの表現ですね。
ちなみに、この絵は宮崎駿監督が映画『風立ちぬ』のポスターでオマージュしたことでも有名です。
《死の床のカミーユ・モネ》
1879年、モネの最愛の妻カミーユに死が訪れます。
家庭面でも絵のモデルとしてもモネを支えた妻のカミーユは32歳の若さで亡くなりました。
そんな妻の死に顔さえも絵画として描く画家としての性分と、色彩からモネの悲しみが見て取れますね。
モネは
「無意識のうちに筆を執っていた」
と後に振り返っています。
第4章:移りゆく光を求めて
1870年代、モネはたくさんの制限と自由な表現を評価してくれないサロンへの出展をやめました。
そしてより自由な絵画表現を追求するようになります。
ダイナミックな構図と、より大胆な筆つかいは、まさにモネが感じた「印象」を描いているようでした。
そしてこの頃から人物画が少なくなり、純粋な風景画が多くなります。
モネは都市の近代風景から「今この瞬間の場の雰囲気」を主題にしていったのです。
旅の時代
1880年代のモネは旅を繰り返します。
モネはこの旅を通して、さらに光の表現を変化させていきました。
モネは旅の中で地中海の景色に見られるピンクやブルーに魅了され、ノルマンディーへ旅してからは、以前に比べて色彩感覚はより明るくなりました。
また、モネは以前から日本の浮世絵の構図に影響を受けていました。
そして旅をする中で、日本美術的な構図にさらに傾倒していったのです。
モネの光の極地「連作」へ…
モネは時間の流れによって刻一刻と移り変わる光の揺らぎと、その変化を表現するために「連作」という手法を追求するようになりました。
描くモチーフや構図を固定し、描く時間や天候の違いによる微妙な光の変化をキャンバスの上に閉じ込めたのです。
同じ風景を描いても、朝と昼と夕方と夜では全然違って見えますよね?
モネは毎日同じ時間に筆を取り、同じ時間に筆を置き、そしてまた時間が来たら筆を取る、というように一連の作品として描きあげることで、移ろう光の変化を表現したのです。
例えるならパラパラ漫画でしょうか。
パラパラ漫画とは、少しずつ動きを変えた絵を続けて鑑賞することで、まるで絵が動いて見える、という原始的な「動的」作品です。
連作は光の移ろいを表現したという点から、イメージとしては「静」というよりは「動」的な見方が正しいかもしれませんね。
そして連作は何枚にも分けて「変化」を描くものです。
連作で光の表情の変化を描いたモネの連作と、少しずつ変化した絵を連続して見るパラパラ漫画は、本質的に似ていますよね。
なので連作の作品を鑑賞するときは、単体の絵を見るより、同じ主題の絵を何枚も見比べてみるのがいいでしょう。
連作《積みわら》
連作《ルーアン大聖堂》
連作《ポプラ並木》
最終章:そして光は睡蓮と共に
そしてやっと《睡蓮》に行き着きます。
モネの物語は《睡蓮》によって完結するのです。
《睡蓮》はモネの晩年の連作シリーズであり、印象派画家モネの代表作でもあります。
モネは晩年に暮らしたフランスのジヴェルニーという町に家を建てました。
そしてその家にモネの理想の庭を作ったのです。
その理想の庭には睡蓮を浮かべた大きな池がありました。
この庭と池が有名な「モネの庭」そして「モネの池」と呼ばれるものです。
モネの《睡蓮》シリーズは、実は全てモネの庭にある「睡蓮の池」を描いた絵画なのです。
ちなみに「モネの庭」はフランスのジヴェルニーに今でも保存されています。
《睡蓮》は印象派ならではの明るい色彩表現と、輪郭線を曖昧にするような大胆な筆つかいによって、モネの感じた光の表情が閉じ込められています。
それぞれの《睡蓮》を見ると、どれも同じ表情のものはありません。
池に反映する光の移ろいや、草木が風に揺れる瞬間がモネによって見事に切り取られていますね。
何気ない庭の風景も、モネの光の表現によってドラマチックな場面に変貌を遂げています。
モネの「光を見出す眼」は他を圧倒し、その表現は《睡蓮》によって完成されたのです。
この光の表現こそ、モネを「印象派の巨匠」と言わしめた最大の特徴と言えるでしょう。
実は《睡蓮》の魅力はまだまだあります。
印象派の巨匠クロード・モネが《睡蓮》で描いたのは、ただの睡蓮ではありません。
《睡蓮》をもっと詳しく観察してみると、まだまだ隠れた魅力が溢れ出てきます。
この「隠れた魅力」を知っているかいないかで《睡蓮》の魅力は何倍にも膨れ上がるのです。
《睡蓮》の本当の魅力については別記事にまとめています。
モネの《睡蓮》についてもっと詳しく知りたいと思ったらこの記事も読んでみてください。
真の「モネ通」になれるかの分かれ道になるかもしれません。
印象派といえば、真っ先に名が挙がるのがクロード・モネ。 そんな偉大な画家の代表作が《睡蓮》シリーズです。 [caption id="attachment_247" align="aligncenter" width="630"] ク[…]
まとめ
クロード・モネとは…
モネに学ぶアートの思考法
現代に生きる僕らがモネから学べることは何だろうか?
それは「追求することの意味」です。
モネは「光」の表現を生涯追求しました。
追求していった先に《睡蓮》という名画が生まれたのです。
だからこそ僕らは《睡蓮》と同じくらい、モネが《睡蓮》まで到達するまで「光」を追求し続けた姿勢を賞賛すべきなのです。
モネがどこかで「もういっか」と追求を諦めた時点で、《睡蓮》はこの世に生まれませんでした。
つまり《睡蓮》は結果であり、光の追求というプロセスなしでは語れないということです。
モネも晩年の《睡蓮》に至るまで光を追求し続けました。
《睡蓮》の記事でも語りましたが、初期の《睡蓮》と晩年の《睡蓮》では描き方が異なるのがその証拠です。
印象派といえば、真っ先に名が挙がるのがクロード・モネ。 そんな偉大な画家の代表作が《睡蓮》シリーズです。 [caption id="attachment_247" align="aligncenter" width="630"] ク[…]
この「追求すること」は現代に生きる僕らにとっても、非常に意味のあることです。
なぜなら、何かを追求することで他の人には見えない原理原則や法則が見えてくるからです。
そしてその原理原則はあらゆることに応用できます。
例えば漫画や映画が好きなら、そこに人を惹きつけるストーリーの原則が見えてくるかもしれません。
そうすると、そのストーリーの原則はビジネスや情報発信に応用できるのです。
それに漫画の話を聞くなら「漫画が好きな人」から聞きたいですよね?
つまり何かを追求することで、人間としての深みや魅力が出てくるのです。
- 「自分には何もない…」
- 「私は何者にもなれない…」
…と思っている人こそ、何かを追求するべきです。
その追求があなたを「何者か」にするのですから。
もしあなたが、少しでも興味のあるものや好きなものがあるなら、今この瞬間から追求を始めてみましょう。
それがどんなものでも構いません。
- 「日々の生活が忙しくてなかなか追求なんてできないよ…」
大丈夫です。
追求といっても「好きなものに触れている時間を少しでも多くする」程度で十分です。
今のあなたの出来る範囲での追求をしてみてください。
- 「人にバカされたり、笑われたりするかもしれないし…」
それでも大丈夫です。
モネだって新しい表現で絵を描いた時「描きかけの壁紙の方がまだ完成している」とバカにされ、サロンに落選しているんですから。
それでもモネは自分の表現を変えませんでした。
あなたの追求は今はまだ何にもならないかもしれません。
でも追求し続けることで、その追求はあなただけの《睡蓮》になってくれるはずです。
それでも少し辛くなった時は、僕がいつでもアートシーンマインドであなたを待っています。
大丈夫、あなたならできる。