【保存版】フェルメール展の前に!作品に隠された真実って?

今回のテーマはヨハネス・フェルメールです。

フェルメールは写実的に日常の一コマを切り取った神秘的な絵画が大人気ですよね。
特にフェルメールブルーと呼ばれる美しい青は、世界中の人々をうっとりさせる魔法があります。

しかしフェルメールの作品は全部で35点しかないことを知ってましたか?

そして実はフェルメールの絵画作品には、世の中の99%人が知らない驚くべきメッセージが隠されているのです。

 

今回はそんな謎めいたフェルメールの作品の魅力について、初心者にもわかりやすく解説していきます。

さらに今回は「フェルメールに学ぶ人生を変える〈形式と本質〉という考え方」という裏テーマを設定しています。
これは(マジで)ココでしか聞けないアートの思考法なので、楽しみにしててくださいね。

 

もしあなたの友人が「アートを勉強してもなんの役に立たなくね?」なんて言うものなら、いますぐ全ての予定をキャンセルさせ、スマホだけ持たせて部屋に閉じ込めてこの記事を読ませてやってください。

あなた(またはその友人)がこのページを最後まで読めば、必ずフェルメールの虜になるはずです。

それでは一緒にフェルメールの謎を紐解いていきましょう。

フェルメールはオランダバロックの画家

名前:ヨハネス・フェルメール
出身:オランダ
出没年:1632年〜1675年
様式:オランダバロック
活躍:絵画
特徴:写実的かつ神秘的な日常の一コマ
代表作:《真珠の耳飾りの少女》《牛乳を注ぐ女》

フェルメールは「俗を描き、聖を語った画家」です。

それはどういう意味なのでしょうか。

 

フェルメールは画家の中でも、「風俗画」を描いた画家です。

「風俗画」とは、庶民の生活を描いた絵画。
しかしフェルメールの絵画はただの風俗画ではありません。

絵画の奥に聖なるメッセージが隠されているのです。
ちなみに厨二病じゃありません。大真面目。

なぜならフェルメールは、一般庶民の姿を描きながら、そこに聖母マリアなど聖なる意味付けをしたからです。

「俗を描き、聖を語った画家」とはそういう意味なのです。

 

ここで「なぜフェルメールは直接〈聖〉を描かなかったのか?」という疑問が生まれます。

実はフェルメールが直接〈聖〉を描かなかったのには理由があるのです。
いや、正確には「描けなかった」というべきですが…。

 

フェルメールが風俗画になった理由は主に2つあります。

  1. デルフトという街の環境
  2. 宗教上の問題

です。

1. デルフトという街の環境

フェルメールは最初、歴史や神話などを描く物語画家を目指しました。

なぜなら画家にも階級があり、当時の画家階級では物語画家が一番階級が高かったからです。
そして風俗画は階級の低いジャンルでした。

ではなぜフェルメール は風俗画家になったのでしょう?

 

1つ目の理由はフェルメールの暮らしたデルフトという街にあります。

当時のデルフトは、貿易産業で裕福な街でした。
そしてデルフトには王侯貴族はおらず、お客さんは裕福な一般庶民しかいなかったのです。

 

一般庶民は、絵を買うと自分の部屋に飾ります。
その時にスケールの大きい物語画などは求められず、むしろ自分たちの生活を描いた風俗画が求められたのです。

なのでフェルメールが画家として食べていくには、一般庶民が求める風俗画を描くしかありませんでした。
これは仕方がありませんね。

2. 宗教上の問題

2つ目の理由は、宗教上の問題です。

当時のオランダはプロテスタントという宗派が主流でした。

プロテスタントとはキリスト教の宗派の1つで、聖書を通じて神とつながることを唱えた厳格な宗派。

プロテスタントでは「偶像崇拝の禁止」が規則として決まっています。

「偶像崇拝の禁止」とは、神様の姿などを描いたり彫刻で掘ったりしてはいけないという決まり

そのため、神話などを描く物語画は求められることが少なかったのです。

どんまいフェルメール。


このように、

  1. デルフトという街の環境
  2. 宗教上の問題

…という2つの理由から、フェルメールは聖なる存在(神や聖人)を描かず、お客さんである一般庶民を主役にした風俗画を描く画家になったのです。

それでも絵画を通して神聖なものを表現したい!とワガママを言った意識が高かったフェルメールは庶民を描きつつ、聖なる存在を重ねた意味づけをしました。

これが僕がフェルメールを「俗を描き、聖を語った画家」と呼ぶ理由です。

フェルメールのお客である「裕福な一般庶民」が風俗画を求めた。
プロテスタントの偶像崇拝の禁止により宗教画を書けなかったので風俗画家になった。
庶民を描きつつ聖なる意味づけを重ねた。

フェルメールの作品を解説

ここからは具体的にフェルメールの作品を解説していきます。
フェルメールの作品はどれも小さく、43年の生涯でたった35点しかありません。

しかしフェルメールの絵画は世界中の人々(中にはテロリストからナチスまで!)を魅了し続けてきました。

歴史に名を残した偉大な芸術家たちも、フェルメールを高く評価してきたのです。

「アトリエで仕事をするフェルメールを、
10分でも観察できるなら、
私の右腕を切り落としてもいい」

ーサルバドール・ダリ

「彼の絵には、完璧なパレットがある」

ーフィンセント・ファン・ゴッホ

フェルメールの絵画の描き方

フェルメールの絵画の描き方には3つの特徴があります。

  1. 静かなバロック様式
  2. 舞台を設定する
  3. カメラオブスキュラを使用した

1つずつ解説していきます。

1. 静かなバロック様式

フェルメールが活躍した時代はバロック様式が流行しました。

バロック様式とは、光の陰影や大胆な構図などが特徴で、ダイナミックかつドラマチックな迫力のある芸術様式のこと。

しかしフェルメールのお客さんは一般庶民でしたよね。
バロック様式のようなダイナミックでスケールの大きい絵画は、庶民の部屋には飾れません。

1Kの部屋に50インチのテレビがあったら違和感がありますよね。
バランスおかしいだろって話です。

なのでフェルメールに代表されるオランダバロックは、スケールが小さく静けさをまとっているのが特徴でした。

フェルメールに代表されるオランダバロックは、一般的なバロックとは異なり、スケールが小さく静けさがある。

 

2.舞台を設定する

いくつかのフェルメールの絵画を見比べてみると、ある1つの事実が浮かび上がります。
それは、どの絵も同じ部屋で描かれているということ。

よく見ると床の模様や窓ガラスが同じことに気がつきます。
女性が着ている黄色い服が何度も登場していますね。

つまりフェルメールはこの部屋で舞台を設定しているのです。
そのために椅子や机などを小道具として使い、衣装までも用意していました。

フェルメールは部屋を舞台やスタジオのように活用し、物語を設定して絵画を描いた。

3.カメラオブスキュラを使用した

フェルメールは絵画を描く際に、カメラオブスキュラという装置を使用していたことでも有名です。

カメラオブスキュラとは、カメラの原型となるもので、部屋の壁に小さな穴を空けると、反対側の壁に外の景色の上下左右の反転像が映し出される装置。
カメラオブスキュラ

フェルメールはこのカメラオブスキュラを絵画の下絵に使用していました。
そのため、フェルメールの作品は写真のように写実的に描くことができたのです。

繊細な光の表現も、カメラオブスキュラによるものです。

フェルメールはカメラオブスキュラを使用することで、写真のように美しい絵画を描いた。

フェルメールの代表的な絵画を解説

ここからは具体的にフェルメールの代表的な絵画を1つずつ具体的に解説していきます。

《マリアとマルタの家のキリスト》

フェルメールの画家としての出発点は宗教画から始まりました。

《マリアとマルタの家のキリスト》は、フェルメールの数少ない物語画で、新約聖書ルカ伝10:38−42章の話を描いたものです。

この物語をざっくりと説明すると、

いつもせわしなく働く姉のマルタは、イエス・キリストの話を聞く妹マリアを非難します。
それに対してイエスは、
「なくてはならぬものは多くない……マリアはそのよい方(神の言葉を聞くこと)を選んだのだ」
…と、マルタを論したのでした。

という場面です。

大事なことから目を背け、ただがむしゃらに働く姉のマルタと、本当に大事なことを選びとろうとする妹マリアの姿が描かれています。

 

現代だとマルタみたいな人って結構多いですよね。
自分の人生にとって本当に大事なことを犠牲にして仕事に明け暮れる…みたいな。

《マリアとマルタの家のキリスト》では、その主題から「俗と聖」の対比がわかりやすく表現されています。

《取り持ち女》

《取り持ち女》は、フェルメールが物語画から風俗画へと転向する過渡期に描かれた絵画です。

男が女を金で買っているところを描いています。

《取り持ち女》の場面はキリスト教のたとえ話である「放蕩息子(ほうとうむすこ)」を彷彿とさせますね。

放蕩息子とは、神の哀れみの深さを表す例え話。父を裏切り、欲に溺れた息子が後悔し父親の元へ戻ると、父親は息子を受け入れたというもの。

放蕩息子が欲に溺れていく場面が、聖書の話ではあるけれど限りなく風俗的でした。
物語画家から風俗画家に転向するフェルメールにとって、非常に取り組みやすいテーマだったのです。

ちなみに、画面左端の男はフェルメールの自画像だと主張する研究者もいます。

《牛乳を注ぐ女》

《牛乳を注ぐ女》はフェルメールの代表作の1つです。

ものに溢れるはずの台所から、必要最低限のものだけが残されています。
それは絵画の色彩表現も同じです。
《牛乳を注ぐ女》は三原色と緑と白だけを使って描かれています。

ここにフェルメールの引き算の美学が感じられるのです。

何にでも言えることですが「シンプルでいて豊かなもの」が一番難しくて素敵なものですよね。
僕は《牛乳を注ぐ女》を見ると、近代建築の三大巨匠であるミース・ファン・デル・ローエが言った

「Less is more(より少ないことは、より豊かなことだ)」

という言葉が頭をよぎります。
時代も職業も全然違うんですけどね。

《牛乳を注ぐ女》の背後の壁を見てください。
窓に近いところの壁は暗く、窓から離れるほど明るくなっていますね。
この光の表現が女性をくっきりと映し出す効果があるのです。

X線や赤外線による研究では、もともと後ろの壁には大きな地図が描かれていました。
また、右下の行火(当初のストーブ)のあたりには布がたくさん入った大きな籠が描かれていたことがわかっています。

もし地図や籠が残っていたら、この女性はただ忙しく働く1人女性です。
あの《マリアとマルタの家のキリスト》のマルタのように…。

そう、この牛乳を注ぐ女性は、もともと俗にまみれたマルタだったのです。
しかしフェルメールはこの女性をマルタにする地図や籠を塗りつぶしました。

これは何を意味していると思いますか?

それは「俗と聖の融合」です。

地図や籠を塗りつぶした今、牛乳を注ぐ女性は家事をしているはずなのに、どこか神秘的でまるで祈りや瞑想をしているかのように見えますよね。
実はこの女性は働くマルタの姿をしたマリアなのです。

俗にまみれたマルタと、神の言葉に耳を傾けたマリアは、この牛乳を注ぐ1人の女性の中に存在しています。

物語画家を目指していたフェルメールが「俗」と「聖」が統合したことで、風俗画家としてのアイデンティティが確立されたました。

《マリアとマルタの家のキリスト》で別々に描かれた俗と聖が《牛乳を注ぐ女》によって融合された。

《リュートを調弦する女》

《リュートを調弦する女》は楽器を手にした少女が主人公です。
この少女はリュートを調弦しようと弦に指をのせていますが、彼女の視線は窓の外に向かっています。
彼女は何を見て、何を想っていたのでしょう。

当時、上流の人にとって楽器を持ち寄って合奏する場は1つの出会いの場でもありました。
《リュートを調弦する女》はこれから一緒に合奏するお相手を窓の外に見つけたのでしょうか?

 

《リュートを調弦する女》には、もう1つの見解があります。
当時のオランダで暮らす状況そのものを描いている、というものです。

《リュートを調弦する女》には、背景の壁に大きな世界地図が描かれています。
当時のオランダは、貿易産業で豊かな国だったので、常に世界の動きを観察していました。
この部屋の世界地図は、世界の動向に依存しているオランダの姿なのかもしれません。

そう考えれば、少女が窓の外に何を見ているのでしょうか?

もしかしたら、小さな部屋の中から、
「世界は一体どんな場所なんだろう?」
…と、窓の外に広がる大きな世界を眺めているのかもしれません。

その姿は小さな国の中で世界地図を広げ、世界の動向を常に観察していたオランダの状況そのもののようです。

《天秤を持つ女》

天秤で金や銀などのコインを量る人物の絵は、16世紀ごろからよく描かれています。
その多くは両替商とみなされ、世俗にまみれた貪欲さの象徴とされました。
いつの時代も金の亡者は嫌われるってことですね。

一方で、女性を主人公に描いた17世紀のオランダ風俗画では解釈がちょっと違います。
オランダの風俗画で天秤を量る女性像は、家計を切り盛りする既婚女性の美徳という意味も持っていたのです。

じゃあフェルメールも家計を支える女性の美徳を描いたのかというと、半分正解と言ったところでしょうか。

もう一度絵の中の天秤をよく見てください。
そう、この天秤の皿の上には何も載ってませんよね?

では、この女性は一体何を量っているんだと思いますか?

背後の壁に描かれた絵がヒントになっています。
これは「最後の審判」を主題とした絵です。

 「最後の審判」とは新約聖書で語られるキリスト教の教義で語られる世界の終末の場面のこと。そこでは生きている者や、すでに亡くなった者に関係なく、天国に行くか地獄に行くかの振り分けが行われる。

最後の審判では、大天使ミカエルが神に変わって人の魂を量ります。
そして画中画(絵画の中に描かれた絵)の大天使ミカエルが描かれるであろう場所に、天秤を持つ女性の頭が重なっているのです。

つまりこの天秤を持つ女性が量っているのは人間の魂なのです。

フェルメールは日常の営みの中に神聖な意味合いを持たせていました。
俗なる世界と、聖なる世界の交わった点を描いたのです。

それを強調するように、画中画の額縁の左側と下側が交わる位置に、天秤を持つ女性の手を置いています。
その天秤は画面の重心であり、消失点の位置であり、女性の視線の先にあるのです。

日常を勤勉に営む女性の姿と、キリスト教の教義が見事に重なり合っています。
この女性にもマルタとマリアを見ることができるのです。

《青衣の女》

17世紀のオランダの宗教の主流であったプロテスタントは、聖書によって神とつながるという考えを持っていました。
そのため、誰もが文字の読み書きができるわけではない時代で「聖書が読める」ということが何よりも大事だったのです。

それに加え、オランダは商業国家だったので、契約書などが読めることが必然的に必要になってきます。

そのような理由から、17世紀オランダは文字の読み書きを初等教育に積極的に取り入れ、他ヨーロッパに比べて識字率が高かったのです。
特に女性の識字率の高さは、ヨーロッパの中でも群を抜いていました。

《青衣の女》は、そんな文字によって世界を見渡す新しい時代を生きた女性が描かれています。

それを証明するように、《リュートを調弦する少女》で少女が眺めていた窓は姿を消し、外界と女性との繋がりは、背後の地図と手紙にフォーカスされています。

まるで文字が読めることで、世界の情報が頭の中に流れ込んでくる様を表しているように見えますね。

フェルメールはこのような手紙と少女をモチーフにした絵画をよく描きました。

《手紙を書く女》

《真珠の耳飾りの少女》

フェルメールといったら、誰もが《真珠の耳飾りの少女》を思い浮かべるのではないでしょうか?
フェルメールの代表作で、その美しさから「北方のモナリザ」とも呼ばれています。

そんな美しい少女ですが、200年もの間忘れられた絵画としても有名です。

1881年、オランダのハーグでオークションが行われました。
そのオークションに出された時、彼女はとても汚れた姿をしていたのです。
ホコリや泥にまみれて何が描かれているのかも分からなかったくらいです。

当時の落札価格はたったの2ギルダー30セント(なんと約4000円!)でした。
それからは誰かの物置でひっそりと眠っていたのかもしれません…。

そして1915年、オランダのマウリッツハイツ美術館で修復が開始され、現在のように美しい姿を取り戻しました。

 

《真珠の耳飾りの少女》で謎なのがこの少女は一体誰なのか、ということです。

この少女の正体については、いくつかの説があります。
《真珠の耳飾りの少女》はトローニー(不特定の人物の頭部を描いた絵)ではないかという見解や、実はモデルがいたのではないか、と意見する研究者もいます。

ココでは個人的にロマンを感じる説を2つ紹介します。

それが、

  1. フェルメールの愛娘説
  2. フェルメールに恋した召使いの少女説

です。

1.フェルメールの愛娘説

この説は《真珠の耳飾りの少女》はフェルメールの長女マーリアをモデルに描いたという説です。

フェルメールには11人もの子供がいましたが、フェルメールの絵に子供が描かれている絵画はほどんどありませんでした。
しかし、それだけの子供がいたらモデルとして描いていても不思議ではありませんよね。

ある研究者によると、長女マーリアを描いた絵は3つあり、

  • 《真珠の首飾り》:13歳のマーリア
  • 《絵画芸術》:14歳のマーリア
  • 《真珠の耳飾りの少女》:16歳のマーリア

…というように、愛娘が美しく成長していく姿を描いていたのかもしれません。

《真珠の首飾り》:13歳のマーリア
《絵画芸術》:14歳のマーリア
《真珠の耳飾りの少女》:16歳のマーリア
2.フェルメールに恋した召使いの少女説

もう1つの説は《真珠の耳飾の少女》は、フェルメールに恋した召使いの少女なのではないか、という説です。

この説は女優スカーレット・ヨハンソンが主演を演じた映画『真珠の耳飾りの少女』で描かれたものです。
映画『真珠の耳飾の少女』の原作者トレイシー・シュヴァリエは《真珠の耳飾りの少女》を見て「これは恋する瞳」と話しています。

あるインタビューでトレイシー・シュバリエが魅了されたこの複雑な表情と瞳について、このように語っています。

幸せそうに見えるのは恋をしているから。
悲しそうなのは、それが許されぬ恋だから。

あなたにはどう見えましたか?

この謎めいた雰囲気もフェルメールの魅力の1つなのです。

《絵画芸術》

《絵画芸術》は寓意画という物語画のジャンルです。
フェルメールが若かりし頃に目指した物語画家への情熱は、まだ冷めていなかったようです。
諦めたらそこで試合終了ですからね。(安西先生…)

しかし、ただの物語画ではありません。
物語画でありながら、フェルメールが築き上げた風俗画家としてのアイデンティティを存分に発揮しています。

フェルメールは《絵画芸術》で「聖母子を描く聖ルカ」という伝統的な図像と、当時流行っていた現実的な「画家のアトリエ」という図像を融合させています。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《聖母子を描く聖ルカ》
ギュスターヴ・クールベ《画家のアトリエ》

さらに絵の中の女性は歴史の女神クリオの格好をしているため、画中の画家は物語画家であることがわかります。

ちなみに、この画中の画家はフェルメール自身であると言われています。

 

フェルメールは「物語画家」というモチーフを、伝統的な物語画の構図を模した風俗画で描いてみせたのです。
物語画家を目指し、風俗画家として成功したフェルメールの情熱、葛藤、実力が今ここに集結している、そんな作品と言えるでしょう。

 

そして《絵画芸術》はアドフル・ヒトラーが所持していたことでも有名です。

ヒトラーは若い頃、画家を目指していたため美術に造詣が深かったのです。
そんな世界的な影響力を持つヒトラーさえも虜にしてしまったのが、この《絵画芸術》です。

ヒトラーにとっては、《絵画芸術》は非常に意味のあるものでした。

女神クリオに扮した女性の格好に注目してみましょう。
女神クリオを表すものとして、トランペット、書物、月桂冠が挙げられます。

これはそれぞれ意味するものがあり、

  • トランペット:名声
  • 書物:歴史
  • 月桂冠:勝利

となります。

これらは、まさにヒトラーが求めていたものだったのです。

《天文学者》

《天文学者》はタイトル通り、天球儀に手をかける天文学者を描いた作品です。

実はこの作品もヒトラーが所持していました。
ヒトラー、フェルメール大好きですやん。

絵の中で天文学者は、本を机に置き、天球儀に手をかけています。
天球儀の下にあるのは、アストロラーヴ(アストロラーベ(wiki)とも言う)と呼ばれる古代の天文学者が使用していた天体観測機器です。

《天文学者》で描かれているのはフェルメールが生きた時代の天文学者と思いきや、実はそうではありません。

机の上に置かれた本は、1621年にメティウスにより出版された『天文学・地理学案内書』という古い本であり、天球儀も1600年頃のものなのです。
アストロラーヴも16世紀後半のものであることが分かっています。

フェルメールが生きた17世紀とは時代がずれているのです。

つまり、この天文学者はモチーフとして描かれているのです。

 

当時の科学は現代の科学とは異なり、古典的な伝統に支配されている部分がありました。
《天文学者》で机の上に描かれたメティウスの本も同様で、科学的な理解と、聖書による解釈が入り混じるような内容なのです。

それを物語るのが、やはり背後に描かれた画中画です。
背後に描かれた絵は「モーセの発見」を主題にしたものです。

「モーセの発見」とは・・・

旧約聖書の一場面で、以下のような物語です。

イスラエル人の人口が増え始めたエジプトで、ファラオ(エジプトの王)はイスラエル人を脅威を感じるようになります。

そんな時「イスラエルを導く救世主が生まれた」との報告から、ファラオはイスラエル人の男児を殺すよう命じます。

モーセの母ヨケベドは、生まれて間もないモーセの身を案じ、まだ赤子のモーセを小舟に乗せてナイル川に流すのです。

そして、下流で水遊びをしていたファラオの王女に発見され、赤子であるモーセを王子として育てることを決意したのです。

モーセはエジプト人のあらゆる知識を学んだとされ、科学と知識の象徴としても描かれることもあり、主題としてはぴったりでした。
フェルメールは、のちにイスラエル人を導くモーセの姿と、科学によって世界を導く天文学者の姿を重ねたのです。

実情はどうであれ、ナチスを導いたヒトラーも、自身をこの天文学者とモーセに重ねていたのかもしれませんね。

《地理学者》

《地理学者》はよく《天文学者》と対になる作品としてみられる地理学者を描いた絵画です。
右手にコンパスを持ち、左手で本を握っている地理学者は、《天文学者》のモデルと同じではないかと言われています。
めちゃくちゃ似てますもんね。

これまでのフェルメール作品を見比べてみるとわかることがあります。
フェルメールが「読み書き」などの行為を描く時、女性は恋文などのプライベートな世界を表現し、男性は世界へ目を向けるようなモチーフを描いているのです。

ここから、女性は内に、男性は外に、というような当時の男女の仕事における精神性を垣間見ることができます。

このようにフェルメールは、時代の奥に流れる空気感までをも描き出した画家だったのです。

フェルメールブルーとは?

フェルメールが描く絵画で印象的なのは、その鮮やかさで僕らを惹きつける美しいブルーです。
フェルメールの作品で非常に印象的なため、フェルメールブルーとも呼ばれます。

ココではフェルメールブルーの正体について探っていきます。

海を越えてきたフェルメールブルー

フェルメールは晩年、借金に苦しんでいました。
なぜフェルメールはそんなにもお金が必要だったのでしょうか?

そこにはフェルメールブルーが大きく関わっていたのです。

 

フェルメールブルーは正式にはウルトラマリンブルーと言います。
その美しさから別名「天空の破片」とも呼ばれています。
この別名、めちゃくちゃ素敵ですよね。

ウルトラマリンブルーの原材料はラピスラズリという青い石です。
ラピスラズリの産地は南アジアが多かったので、「海を越えてやってきた青」ということから「海越え」の意味を持つウルトラマリンが名付けられました。

ラピスラズリは当時、非常に高価(なんと金と同等!)だったため、宗教画などの神聖な絵画にしか使えませんでした。
いや、どんな石やねん。

フェルメールはそんなウルトラマリンブルーに惚れ込み、原料であるラピスラズリを入手するために多額のお金が必要だったのです。

「聖なる青」フェルメールブルー

高価故に宗教画など使う場面が限られたウルトラマリンブルー。
しかしフェルメールは一般的にはまず使わない風俗画にこの神聖なブルーをふんだんに使用しました。
これは当時、異例中の異例でした。

フェルメールはどうして風俗画にウルトラマリンブルーを使ったのでしょうか。

ここでフェルメールの原点に戻ってみましょう。

フェルメールは「俗を描き聖を語る画家」だと紹介しました。
《牛乳を注ぐ女》では俗と聖を融合させたフェルメールの世界観を解説しましたね。

さて、ウルトラマリンブルーを使って描かれたフェルメールの風俗画は、本当に風俗画なのでしょうか?

《真珠の耳飾りの少女》や他の絵画に登場する女性は、フェルメールにとっては神聖な存在として描かれているのです。
西洋美術では聖母マリアの衣服も青で描かれます。

ラファエロ《大公の聖母》

つまりフェルメールにとって絵画の中の女性は聖母マリアなのです。

フェルメールの暮らすオランダはプロテスタントの国です。
神話の話をあからさまには描けません。

しかしフェルメールは数々の絵画で、画中画などを利用して隠された聖なるメッセージを僕らに届けています。
だからこそ宗教画で使用するウルトラマリンブルーであり、それがフェルメールブルーになるです。

「俗を描き聖を語る画家」フェルメールは、数百年の時を経て、僕らに何を語りかけているのでしょうか?

フェルメールの絵画を前にした時、僕らにはフェルメールのメッセージを「想像する場」が与えられているのです。

まとめ

カイト
ここでフェルメールについてまとめておきます。

17世紀にオランダのデルフトで活躍した画家。

物語画家を目指すも、デルフトという街の環境により風俗画家になる。

部屋(アトリエ)を舞台やスタジオのようにして物語を設定して描いた。

カメラオブスキュラを使用して写実的な絵画を描いた。

テロ集団からナチスまでをも魅了した。

フェルメールブルーの原料となるラピスラズリを買うために借金した。

俗を描き、聖を語った画家。

フェルメールに学ぶアートの思考法

ところであなたは今回の裏テーマを覚えていますか?

そう、フェルメール から学ぶ「人生を変える〈形式と本質〉」というアートの思考法です。
フェルメールと現代に生きる僕らをつなぐ架け橋を今から建造しますね。

 

フェルメールは最初、物語画家を目指しましたが環境的な理由から風俗画家になりました。
しかしそれはフェルメールが夢を実現できるか、実現できないか、とはなんの関係もありません。

現代でも本来なりたかった職業に就けなかった、なんて人は多いのではないでしょうか?

面白いことに、人に夢を聞くと、

  • 「医者になりたい」
  • 「デザイナーになりたい」
  • 「ミュージシャンになりたい」
  • 「ネイリストになりたい」

…と「職業名」で答える人がほとんどです。

しかし人の幸福度は職業とは何の関係もありません。
重要なのは、なぜそれがやりたいのか?ということです。

 

職業は形式です。

本当に大事なのは、

  • 「なぜやりたいのか」
  • 「なぜ好きなのか」

という本質の部分なのです。

本質が満たされていれば形式は何であっても関係ありません。
フェルメールが風俗画家として、聖なるメッセージを語っていたように…。

フェルメールにとって風俗画家はただの形式であり、絵画で伝えたいことが伝えられたらそれでいいのです。

本質を体現できれば、形式は何であっても関係ないのです。

 

それは現代でも同じことが言えます。

確かに形式は目に見えて分かりやすく、楽かもしれません。
しかし、本当に自分らしくクリエイティブに生きたいなら、本質を見る必要があります。

例えば、ファッションが大好きで洋服屋の店員になった人がいるとします。

しかし日々が過ぎていくにつれ、仕事が楽しくないことに気がつくのです。
大好きな洋服に囲まれているはずなのに…。

それは「なぜファッションが好きなのか?」を自分で理解していなかったからです。
もしファッションをコーディネートすることが好きなのであれば、「服を売る」ことが仕事の洋服屋で楽しめるはずがありません。

もう少し「なぜ?」を分解すると、

コーディネートする →  カスタム性

という本質が見えてきます。

これこそが、ファッションが好きな本当の理由だったりするのです。
カスタムすることが好きな人が服を売っても、「好きな理由(=カスタム)」ではないことをしているので、全く自分らしく働くことができません。

それは「本当に好きな理由」が見えず、表面上の形式(今回の例ではファッション)しか見えていないからです。

逆に本質が見えていれば、今の仕事に「自分の本質的な要素」を見出すことができます。
すると途端に仕事が楽しくなるはずです。

あるいは自分の「好き」 をもっと発揮できる別の仕事を見つけることができます。
それが本当に自分に合った天職です。

 

ほとんどの人は、
「好きなことの、嫌いな部分が見えちゃった」
…と言いますが、それは形式で選んでいるからです。

本質を見る癖をつけないと、目の前に見えている形式に振り回されてしまいます。

 

でも、これからは大丈夫。
なぜなら、フェルメールが僕らにヒントを教えてくれたから。

フェルメールは「俗」を描き「聖」を語りました。

大事なのは形式ではなくて、本質。

時には、ふと立ち止まって、自分の好きなことを思い出してみてください。

そして、

  • 「何でこれが好きなんだろう」
  • 「どうしてこれがやりたいんだろう」

…と、自分に語りかけてみてください。

そうすれば、あなたにとっての「形式と本質」が見えてくるはずです。

フェルメールが形式的な「俗」を描き、本質的な「聖」を語ったように、あなたが本当に体現したい本質をぜひ見つけてみてください。

あなたの本質が見つかったという嬉しい報告を、僕も心待ちにしています。

では、またその日まで。

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