遠藤ユウの物語

世界的に有名なあの少女に恋をして、
芸術学の学位を取得し、
世界中を旅する旅人に出会い、
「億」を生み出すガチの成功者から
自分らしくクリエイティブに生きるヒントを学んだ1人の男が…

 

こうして今、
あなたと出会うまでの
世界で1つだけの物語

 


 

遠藤ユウ
はじめまして。
遠藤ユウと申します。

高校生の時に美術館で出会った少女に恋をして以来、アートの世界に引き込まれ、その後多くの成功者たちから人生哲学を学びました。
現在はメディアを通して、
芸術家的教育者という生き方を提唱しています。

 

おそらく今このページを読んでいるあなたは僕に対して、
「お前誰やねん」状態
だと思います。

なのでこのページでは僕の活動理念と、その理念に至った経緯をお伝えしていこうと思います。

…とは言っても、ただダラダラと僕の話をするだけじゃないので安心してください。
それだとあなたが読むメリットがないですもんね?

僕は発信をする際、
マジで読者の人生を変えるつもりで執筆しています。
それはこのページも同様です。

僕の記事を読んでもらうということは、その間あなたの人生の数分を預かるということ。
どうせなら人生を変える数分にしてほしいと思っています。

「読めば必ず人生が変わる!」とは限りませんが、最後まで読めば、あなたにとって有益な学びがあることは保証するので続きをどうぞ。

情報発信者から
芸術家的教育者へ…

僕は現在、

  • すでに何らかの情報発信している人
  • これから情報発信していきたい人
  • 本当はやりたいことがあるけど、一歩が踏み出せない人

に向けて、芸術家的教育者として生きることを提唱しています。

 

「芸術家的教育者ってなに…?」
「芸術家なの?それとも学校の先生になるの?」
「普通の情報発信者と何が違うの?」

もしかしたら、あなたもそう感じたかもしれません。
芸術家的教育者とは職業名ではなく、あなたが自分らしくクリエイティブに生きるための「生き方の型」です。

そんな芸術家的教育者の秘密を、
今、この場で解説します。

芸術家と教育者

芸術家的教育者は、読んで字のごとく、

  • 芸術家
  • 教育者

という2つの要素を持っています。

ここで重要なのは芸術家と教育者の定義です。

芸術家とは?

美しい絵が描けたら芸術家でしょうか?
綺麗な写真が撮れたら芸術家でしょうか?

僕はそれらは本質的な芸術家ではないと考えています。

「じゃあ、本質的な芸術家って何よ?」

僕の芸術家の定義は、
「独自の美学を打ち出し、自分を世界で唯一の存在にできる人」です。

おそらく一般的な芸術家の定義とは少し違うと思います。

例えば僕の定義では、あなたが美しい絵が描けたり綺麗な写真が撮れても、そこにあなた独自の美学がなければ本質的には芸術家とは言えない、ということになりますね。

 

本当に伝えるべきものは「あなただけの美学」です。
誰かがあなたの美学に魅力を感じてくれたら、あなたは世界で唯一の存在になれます。
なぜなら、あなたという人物がこの世で1人しか存在しない限り、あなたの美学も世界に1つだけの美学なのですから。
あなたの美学に共感してくれた人は、あなたのファンになってくれるでしょう。

 

…もしかして「世界で唯一」という言葉にピンときていませんか?

ではユニークネス(唯一性)について補足してみましょう。
ドイツの文化評論家であるヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代において芸術の唯一性は失われた」と言いました。

世界中のどこにいてもインターネットで検索すれば、誰でも《モナリザ》を見ることができますよね?
《モナリザ》のポスターは世界中に星の数ほど存在するでしょう。

そういう意味では確かに《モナリザ》の唯一性は失われたように思えます。
だってルーヴル美術館に行かなくても世界中のどこにいても見れるんだから。

しかし、たった1つだけ複製(コピー)できないことがあります。
それは「誰が描いたか」ということ。

例えばピカソが《モナリザ》を描いたとします。
それはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた《モナリザ 》と同じ価値を持つでしょうか?

答えはノーですよね。
これはどちらの絵画が優れているか、という優劣の問題ではありません。
2つの絵画にはコピーできない価値があるのです。

 

同じコンテンツを発信した場合、発信者の美学によってそれぞれコンテンツにそれぞれの価値が付与されます。
ピカソが描いたことに価値があり、レオナルドが描いたことに価値があるのです。
《モナリザ》であることは、もはや関係ありません。

 

美学とは「これまでの人生」と「これからの理想の人生」を合わせて生み出されるものです。
それは全く同じ人間が存在しない限り、同じ美学が生まれることもない、ということ。
なぜなら僕らは皆、産んでくれた両親も、育った環境も、好きなものも、嫌いなことも、すべて違う物語(人生)を生きているからです。

コンテンツは発信者の美学を感じて初めてアートになります。
それは絵画、写真、彫刻、文章、ファッション、映像、全てのコンテンツに言えることです。

レオナルドやピカソと同じ土俵で戦っても、一生勝てません。
誰かの真似事を一生懸命しても本質的な芸術家にはなれないのです。

だったら自分の土俵(=美学)を作ればいい。
重要なのは、そこにあなた独自の美学があるかどうかなのです。

 

現代はあらゆる情報が乱立し、それらが無限にコピーされる時代です。
そんな時代のど真ん中にいる僕らは、真の唯一性が何かを知る必要があります。

その僕なりの1つの回答が「あなただけが語れる美学」ということです。

逆にこれさえ外さなければ、職業に関係なく、これからの時代を自由に生きていくことができるでしょう。
だからこそ僕らには芸術家としての視点が必要なのです。

教育者とは?

芸術家的教育者について、芸術家の(僕の)定義について解説しました。
次は教育者について解説します。

 

教育者と聞くと一般的には学校の先生など、お堅いイメージがあるかもしれません。
しかしそんなに肩に力を入れなくても大丈夫です。

僕にとって「教育」とは「自分が関わることで、もっと良くしたい」という気持ちのことだと思っています。

それを踏まえて僕の教育者の定義は、
「誰かの人生の質を高めるリーダー」です。
そう、教育者とはリーダーなのです。

 

すでに話したように現代は情報が乱立した時代です。
ということは今後、

  • 情報を操る人
  • 情報に振り回される人

の二極化がどんどん進んでいきます。

それはリーダーとフォロワーの二種類の人間に分かれるということです。

もちろん、より自分らしく自由に生きるには、情報を操るリーダーになる必要があります。

そこで重要なのが教育者としてのマインドです。
「自分が関わることで、もっと良くしたい」という他者貢献の気持ちを持つことで、リーダーとして生きることができるのです。

これは決して綺麗事ではありません。
なぜなら人は、

  • この人について行ったら良い事がありそう!
  • この人は自分に力を与えてくれる人だ!

と思える人をリーダーと認識するからです。


だからこそリーダーを目指す僕らにとって、他者貢献できる教育者の視点が必要なのです。

 

「でも自分には教えられることなんて何もないよ…」
なんて思わなくて大丈夫なので、安心してください。

不安に感じたあなたのために、「教育者になること」についてもう少し補足します。
(しっかりついて来てくださいね)

 

多くの人(特に若い人)が持っている悩みが、

  • 実力不足
  • 経験不足

です。

でも大丈夫。
あなたに実力や経験が少なくてもリーダー(教育者)になれる理由が2つあります。

  1. リーダーは相対的な存在
  2. 美学で選ばれる

1つずつ解説しますね。

1. リーダーは相対的な存在

あなたに実力や経験が少なくてもリーダー(教育者)になれる1つ目の理由は「リーダーは相対的な存在」だということです。

これはつまり、あなたがフォロワーより一歩でも二歩でも先を歩いている事があれば、そのフォロワーにとってあなたはリーダーだということです。

 

リーダーとは、ある一定のラインを越した人だけがなれる絶対的なものではありません。
リーダーであると同時に誰かのフォロワーであり、フォロワーも誰かにとってはリーダーなのです。

人は誰でもフォロワーでありリーダーになり得る。
リーダーとフォロワーは、どこに焦点を当てるかによって立場が変わる相対的なものなのです。

 

例えば僕はアートやビジネスについては一般的な人より知識はありますが「釣り」に関しては1ミリも知識がありません。
そんな僕が何かのきっかけで「釣りやってみたいな」と思ったとします。

仮にあなたが釣り歴三ヶ月の初心者だったとしても、僕にとってあなたは立派なリーダーなのです。

  • アートに焦点を置くか、
  • ビジネスに焦点を置くか、
  • 釣りに焦点を置くか、

焦点の違いで、リーダーとフォロワーが変化することが分かりますよね。

 

「いやでも他の釣り歴10年の人が教えた方がいいでしょ…」
…と、あなたは思うかもしれませんね。

そんな心配も必要ありません。
なぜなら釣りの知識が1ミリもない僕にとって、釣り歴10年の人はレベルが違いすぎて、ついていく事ができないのです。

学生の頃を思い出してください。
僕は学生の頃、数学が大嫌いで先生の説明を聞いてもさっぱり理解できませんでした。
「ちゃんと日本語を話してくれ…」と思っていたくらいです。

でも後で友達に教えてもらったら、すごく分かりやすく理解できた経験があります。
明らかに先生より数学の知識が少ない友達の方が、僕にとっては数学のリーダーでした。

 

このように、現時点でのあなたを必要としてくれる人は必ずいます。
それはつまり、あなたが輝けるステージはどこかに必ずあるということです。

2. 美学で選ばれる

あなたに実力や経験が少なくてもリーダー(教育者)になれる2つ目の理由は「美学で選ばれる」ということです。

そしてこちらの理由の方が重要です。

あなたのフォロワーはあなたの実力や経験ではなく、あなたの美学に魅力を感じているのです。

 

たとえ釣り歴が三ヶ月だったとしても、釣りを通してあなたしか語れない美学やメッセージがあれば、あなたの周りからライバルはいなくなります。

たとえあなたの隣に釣り歴10年のベテランがいたとしても、あなたの美学やメッセージに共感する人は、あなたに釣りを教わりたいのです。
なぜなら、そのフォロワーが共感した美学を語れるのは、世界にあなただけなのですから。
あなたは釣りを通して、あなたの美学を一生懸命に伝えればいいのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソが絵画を通してそれぞれの美学を伝えるように。

 

あなただけの美学を語れたら、他の人がどんなに実力と経験があっても関係ないのです。

 


 

もう一度あなたに実力や経験が少なくてもリーダー(教育者)になれる2つの理由をまとめます。

  1. リーダーは相対的な存在
  2. 美学で選ばれる

という2つでした。

 

このように、あなたというリーダーを待ち望んでいるフォロワーは必ず存在します。
これからの情報社会を自分らしく自由に生きるリーダーにとって、教育者のマインドは必須になるでしょう。

改めて、芸術家的教育者って?

僕にとっての芸術家と教育者の定義を話したところで、改めて芸術家的教育者をまとめてみると、
「自分の美学を語り、誰かの人生の質を高める世界で唯一のリーダー」と定義できます。

これを数学的な式で表すと、

美学(自分らしさ) × 他者貢献 =芸術家的教育者

という式が成り立ちます。

大切なのは「かけ算」だという事です。
どちらかが0になれば、芸術家的教育者にはなれません。

つまり、ただ情報を横流しするだけの情報発信者ではなく、自分の追求する美学に基づいた発信で、リーダーとしてフォロワーの人生に寄り添う。
それが芸術的教育者という生き方なのです。

遠藤ユウの理想の世界

芸術家的教育者は自分の美学に従って生きる生き方です。
それは自分の人生の主人公として、他の誰でもない自分の物語(人生)を生きていくということ。

僕はそんな芸術家的教育者をこの世にたくさん増やし、競争や誰かと比較される世界ではなく、自分らしさが評価される世界を理想としています。

自分だけのクリエイティブな物語の主人公として生きる。
そしてその物語を多くの芸術家的教育者たちと共有し、皆で最高に面白い物語を作っていきたいのです。

あなたもあなただけのクリエイティブな物語(人生)を生きたいと思っているはずです。
人は誰だって、自分の感性や能力を最大限発揮して生きたいものですから。

 

…それなのにどうして、多くの人が必死に自分を押し殺し、誰かの人生の脇役を生きているのか、あなたは疑問に思ったことありませんか?
僕はあります。

それは古い価値観や古い習慣に囚われていたり、偏った思い込みがあったり、クリエイティブな人生を生きるための知識が単純に不足しているからです。

あなたも「好きなことを発信して生きていけたらなぁ。でもどうすればいいかわかんないし…」と思ったことが一度や二度や三度や四度ありますよね?

でも大丈夫。
そんなあなたの背中を押すために僕がいます。
(実際、前半の芸術家的教育者の話でハッとしたはずです)

 

それでもあなたは思ってしまうかもしれません。
「とは言え、自分にできるなんてやっぱり思えないっすけど…」

僕もその気持ちは痛いほどわかります。
なぜならこうして情報発信をしている僕も、かつてはあなたと同じ状況でしたから…。

僕は子供の頃、「ある思い込み」をしていて、勝手に自分の人生に限界を作っていました。
(あなたも同じ思い込みをしているかも…?)

その「思い込み」は僕の子供時代の環境によって作られたものだったのです…。

僕には双子の兄がいます。

実は、僕には双子の兄がいます。

僕は昔から内向的で、皆で何かするよりも1人の世界に浸れる漫画や小説が大好きでした。
そんな僕に比べて兄は外交的で友達も多く、おまけに運動神経も抜群だったのです。

いつしか双子なのに、活発な兄と根暗な弟というように周りから見られるようになってしまいました。

 

「兄に比べて弟の方は・・・」

 

そんな目が向けられるようになり、自分でもその人生を受け入れてしまっていたのです。
僕は「兄に比べて価値のない人間」という思い込みに縛られていました。
マジで根暗じゃん。

それは生まれたときから、兄の人生の脇役を演じていたようなものです。
自分の人生の限界を勝手に決めてしまっていたんですね。

このように僕は自分らしくクリエイティブに生きる芸術家的教育者とは真逆の生き方をしていました。

そんな僕ですが、自分自身を変える 、あるきっかけがあったのです。

ある少女の瞳に恋をして…

それは高校生の頃、上野にある美術館に行った日のことです。
その日は確か休日だったこともあって、多くの人が美術館の中でひしめき合っていました。

「(あ~腰痛い…早く進まないかなぁ…)」
…なんて思いながら美術館の順路を進んでいくと、ひときわ大きい部屋に入ったのを覚えています。

人が多すぎてよく見えませんが、どうやら一番奥に何かがあるようでした。
列を何度も何度も折り返してゆっくりと進んで行った一番奥の壁に、その少女はたった1人で僕を待っていたのです…。

そこにいたのはヨハネス・フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》でした。

彼女の姿を見た途端、まるで会場の音がなくなり、世界がスローモーションになったかのような感覚になったことを今でも鮮明に覚えています。

《真珠の耳飾りの少女》を実際に眺めたのは時間にして数秒でしたが、その瞳に見つめられた瞬間、永遠を感じるほど引き込まれてしまったのです。

「自分を生きなさい」

その衝撃の出会いをきっかけに、僕はアートというものに強く惹かれるようになりました。
数百年という時を超えて、現代の僕らに感動を与えるアートに胸の奥が熱くなるほど魅了されてしまったのです。

 

《真珠の耳飾りの少女》を含め、全ての芸術作品や、その生みの親である芸術家たちは、100%の自分を生きているように思いました。

 

兄と比較され続けてきた僕は《真珠の耳飾りの少女》から「お前も自分を生きなさい」と言われたように感じたのです。

 

あの少女の瞳に吸い込まれたのは、僕が「兄の人生の脇役」を演じていることを見透かされたのと同時に、
その弱い自分から逃げずに、「自分の人生の主役」になって生きるべきだと教えてくれたからだと、今は勝手に解釈しています。

 

それからはアートや、もともと好きだった映画や漫画などはもちろん、人が創造した文化そのものに興味を持つようになりました。
そこに僕が成長できる”何か”があるように感じたのです。

 

そして大学に進み芸術学の学位を取得したのですが、大学時代にもう1つ、人生を変える出会いがありました。

MacBook1台で
世界中を自由に
無期限の旅をする旅人

それは僕が大学2年生の時でした。
SNSをきっかけに、とある旅人と出会ったのです。

 

その人は当時、時間も場所も関係なく生活用品をバックパックに詰め込んで世界中を自由に旅していました。
いわゆるPT(パーマネントトラベラー)というライフスタイルで、世界中を自由に、そして無期限に旅し続けていたのです。
しかも移動の飛行機はすべてビジネスクラスで、です。

好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きな時間に遊んで、世界の絶景を撮影して、好きな時間に仕事をして、好きな時間に寝る。

僕はそんな彼(ここでは「Sさん」と呼ばせていただきます)のライフスタイルに衝撃を受けました。

この人は一般的な常識ではなく、まさに自分の美学を持ってクリエイティブな物語を生きている、そう感じたのです。

「僕に教えてくれませんか!?」

Sさんと仲良くなった僕は、運よくSさんから、美学を持ってクリエイティブに生きるためのヒントを教えてもらう事ができました。

それがWebマーケティングやコピーライティングといった情報発信のスキルだったのです。


Sさんは正しい情報発信を実践し、当時MacBook1台で年収2000万円を生み出し続けていました。
そりゃ旅できるわ。

ちなみにSさんがMacBook1台で回していたビジネスは、アメリカでは100年以上歴史があり、日本の多くの企業も取り入れているクリーンなビジネス手法です。

ネットで発信しているビジネス系の人の中には、「コピペで簡単!月収〇〇万円!」みたいな低レベルの情報もあるので、あなたはそんな情報に騙されないでくださいね。
いや本当にマジで。

 

それから僕は正しい情報発信を学びはじめ、自分の人生の主役としてもクリエイティブに生きたいと思うようになりました。

「いい加減目を覚ませ!」

勉強を続けていく中で、自分にもできるんじゃないか?という思いと、うまくいく人なんて、ほんの一握りだけで僕には無理なんじゃないか…という気持ちの間で、ユラユラと揺れていた時期が僕にもありました。

そんな時、事件が起きたのです。

僕が情報発信を学んでいることを知った、とある人物が、僕に向かってこう怒鳴ったのです。

「いつまでもそんな中途半端なことやってないで、いい加減目を覚ませ!」

…と。

「お前には無理だ。現実を見ろ」
そんな意味が込められた言葉でした。

僕が自分の人生を生きたいと思うこの気持ちは、中途半端なことなんだろうか…。
僕の夢は実現する事ができない、ただの絵空事なんだろうか…。
そう自問自答した時でした。

「そんなことないだろ!!!」
自分の中で湧き上がる思いに気がつきました。

もうできない可能性なんて考えない。
僕は自分の可能性を信じて、本気でやってやる。

そして…

すべてが繋がったのです

あの日、あの美術館で、あの少女が僕に言った「自分を生きなさい」という言葉を思い出しました。

そう、あの言葉は《真珠の耳飾りの少女》の瞳に映った、僕自身の心の叫びだったのです。

そのとき「自分を生きる」ことの本当の意味がわかった気がしました。
「自分を生きる」とは、自分の可能性を信じて、まっすぐ自分の美学を貫いて生きること。
そしてその生き方を体現して生きるために、100%コミットして行動することだと…。

それを理解した時に、今まで学んできた事がすべてが繋がりました。

「あぁそうか、僕が双子として生まれたことも、
あの日《真珠の耳飾りの少女》に恋したことも、
世界を旅する旅人と出会ったことも、
夢を否定されるように怒鳴られたことも、
すべては僕が美学を持って自分の人生を生きるために必要なものだったんだ」
…と。

もう自分に嘘はつきたくない。
これからは誰かの物語の脇役ではなく、自分の物語の主人公として生きていこう。

そう強く誓ったのです。

挑戦者への試練

それからは本気で学びました。

アートもマーケティングもコピーライティングも成功法則も脳科学も心理学も自己分析も哲学も学びました。
友達がカラオケに行っている間も、ひたすら貪欲に学び続けました。

 

Sさんのオススメする教材はすべて買いました。

もちろんどれも安い買い物ではなく、僕は大学生のうちに総額100万円を軽く超える自己投資をしていたのです。
(100万円を超えたあたりから、自己投資額を数えなくなったので正確な数字はわかりませんが)

 

もちろん時間も学びに費やしました。
大学までの通学時間は音声教材を聞き、休み時間は図書館で勉強し、帰りの電車の中でも教材を聞き、家ではTVを消して本を読み漁り、時にはセミナー映像を見ながら夕飯を食べた夜もあります。
入浴中も防水スピーカーで講座の音声を聞き、尊敬しているコンサルタントの音声を子守唄にして1日を終えるという生活です。
もはや変態の域。

 

そしてその教材や講座はすべて、個人で「億以上」のお金を生み出す ”本物の成功者” たちから学べるものばかりでした。

 

友達と遊びにいく時間も削って勉強に当てていたので、正直、孤独な道のりでした。
しかしこの孤独な道こそ、自分を生きる挑戦者に与えられた試練なのだとも思いました。

それは1人で行き先の見えない霧の中を歩いているような感覚です。
それでも自分を信じて歩き続けました。

そんな時、Sさんは僕に言ってくれました。

「大丈夫、ユウさんならできるよ。」

僕がその言葉にどれほど救われたか、Sさんは知らないでしょう。
人はたった一言で心を奮い立たせることができる、そう実感したくらいです。

 

僕は早いうちから”本物”に触れる経験ができたてよかったなと思っています。
なぜなら僕が学んできた人たちは全員、自分の美学を持ち、クリエイティブに生きる芸術家的教育者だったからです。

誰かの”きっかけ”になる

そうして様々な学びを繰り返していくうちに、こう思うようになりました。

「誰かの ”きっかけ” になるって、めちゃくちゃ格好いいな…」
…と。

 

僕にきっかけをくれた人たちは、「自分の美学を語り、誰かの人生の質を高める世界で唯一のリーダー」として、多くの人にきっかけを与えていました。

この世の中にはそんな人たちが本当にいるのです。

僕は彼らを見て、心の底から「格好良い…」と憧れました。
そして僕も誰かにきっかけを与えられる芸術家的教育者になりたいと強く思うようになったのです。

もし、あなたが美術館を作るとしたら…

今僕がこうして情報発信しているのは、僕にきっかけをくれた人たちに憧れ、僕自身も誰かにきっかけを与えられる人になりたいと思ったからです。

僕は自分らしくクリエイティブに生きるためのきっかけをもらい、少しずつ自分の人生を生き始めました。

今度は、自分が誰かのきっかけになる番だと思っています。

 

僕の活動は、例えるならキュレーター(学芸員)のようなものだと思っています。

キュレーターとは博物館や美術館で作品収集や研究・調査を行う人のことです。
また、独自の視点で展覧会のコンセプトや企画を作り、何を展示し、どのように仕上げるかなどのマネジメントも行います。

僕の情報発信は、キュレーターが展示された芸術作品を解説するように、web上に作った自分の美術館で、今まで僕が学んできたことを、僕の美学に従って提供しているつもりです。

 

そして僕は優れたキュレーターは芸術家的教育者であると思っています。
その展示を通して、誰かの人生をより良いものにするという意味では「教育者」なのです。

そしてキュレーターは何を選ぶか、どう組み合わせるか、その”独自の視点”が本質です。
独自の視点とは、自分の美学そのものです。

つまり、キュレーターは自身の視点(=美学)を与えることで、他者の人生をより良くしようとする仕事なのです。
僕はそんなキュレーターと芸術家的教育者の生き方が重なって見えました。

人生のシナリオはあなたのもの

僕はアートとの出会いをきっかけに、自分を生きることを決断し、とある旅人との出会いをきっかけに、誰かの人生のきっかけになることに憧れました。

僕の今の活動はその「僕のきっかけ達」への恩返しでもあります。
僕は僕の人生のページに刻まれた大切な物語を発信しているのです。

僕の発信が誰かの役に立ったり面白いと思ってくれること、それはたくさんの人を巻き込んで作る物語のようだと思っています。

旅人と出会ったあの時に、「兄の人生の脇役」という自分の人生のシナリオを破り捨て、自分で自分の物語を描き始めました。

自分で人生のシナリオを描き出したあの瞬間から、僕は人生という映画の主人公であり、映画監督であり、小説家であり、人生を奏でる音楽家であり、舞台の上で踊るダンサーであり、人生というキャンバスに絵を描く芸術家なのです。

 

僕と同じように、あなたの人生のシナリオはあなたのものです。
あなたの人生の主役はあなたなのです。

そして物語は続く…

僕の物語も、あなたの物語も、まだまだ始まったばかりです。
「私には何もない」ということは、「何をしてもいい」ということ。

これから一緒に、「自分の美学を語り、誰かの人生の質を高める世界で唯一のリーダー」つまり芸術家的教育者として、物語の続きを描いていきましょう。

僕らの物語はまだまだこれからです。

僕の物語をもっと側で見てみたい思っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
今後もあなたの物語に彩りを添えれるような作品を紡ぎ出していきたいと思います。

 

そしていつか、あなたの物語を僕に見せてくれる日を心待ちにしています。
今日この瞬間が、あなたの何かの”きっかけ”になれれば幸いです。

 

大丈夫、あなたならできる。

 

>あなただけの美術館を作りませんか?

あなただけの美術館を作りませんか?

想像してみてください。
あなたの好きなものを展示し、多くの人へ向けて、その展示品について解説する自分の姿を。

実際に美術館を建てることは難しいですが、
web上なら「ブログ」という形で、自分の美術館を作ることは誰でもできます。

あなたも自分の美術館を作ってみませんか?

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